母と娘
エネルギーの世界では、相手を治そうとしてはいけない。
(いや、そもそもこの世はぜんぶエネルギーでできてる世界だから、広い意味では全てに対してそうだ)
施術者にできるのは、相手のいのちの動きを信頼して、相手がその意識をホールドできる場をつくるサポート。
クライアントさんに対してはそれができていた。(と思っている)
でも結果として、母親に対してはそこができなかった。
医師でもセラピストでも身内にやっちゃいけない、っていうけど、それはやっぱり身内への感情が普通のクライアントさんに対してと変わっちゃうから。
過去の記事でも書いてるけど、私の母は病気のデパートみたいな人だけど、それでも、エネルギーセラピーの介入だけは本人がトライしたいって言うまではやらなかった。
本人がやってみたい、って言った時に、初めて手を染めた。
絶対誰か別の人を紹介した方がいい、私がやってはいけないと思いながら、
いや、私がやらずに誰がやる、という思い、
それは結局、私の
「お母さんに感謝されたい」、
もっというと、
「お母さんに愛されたい」
って、幼いころの私の声だったんだなって思う。
本当に母のための選択をするなら、他のセラピストを紹介すればよかったこと。遠隔でできるんだから。
私は母のためではなく、自分のためにやってしまった。
私が私を愛することができなかったゆえに。
順番が逆か。
いつでも愛されているのに、
小さいころ、ふと感じたお母さんとの分離感。
表面じゃ全然気づかぬうちに染み込んだ思い。
幼いわたしが勝手にそう解釈しちゃって、深くに沈ませた思い。
その思いが、なんとか『私が』母親を助けないと、と思わせた。
『私が』母を変えねば、と思わせた。
私が愛をほしいがために、
外から自分を埋めたいがために、
相手に変わることを求めて、
相手が変わることを期待して、
私の望むような在り方で相手にいてほしくて、
変わることを押し付けてたんだなあ。
それは、相手の領域なのにね。
結果的に、私は自分の意思で一線を踏み越えて、見事に身体からのしっぺ返しを喰らったわけです。(これだけが私の病気の理由ではないです、ほんの一部。念のため。)
でも、おかげでたくさんのことに気づけたし、だいじな時間も持てた。
2人で禁断のセッションをやる間、母の感じていたいろんな思いを聞けたし、私もいろんな話をして、たくさんたくさん2人で泣いて、分かちあった。
やってはいけないことではあったけど、母の生きる力にも、何かしら変化にはなったみたい。
ある日、寝る前におもむろに、お母さん大好き❣️って言いたくなって、
おかあさーーーん、
おかあさあ〜ん、
だいすき〜
おかあさんだいすき〜〜〜
と心に広がったスペースの中で、気が済むまで赤ちゃんのように叫び倒して、ポロポロ涙こぼしながら、その子に寄り添って、むにゃむにゃといつのまにか眠った。
そうして私は12月、1年間続けた母のサポートをやめ、自分に専念することにした。
こんどは私のいのちの動きを信頼して、私自身のためにホールドできるスペースに在り続けること。遠回りでもいいから、少しずつ。
まあ、自分をいたわれよ、ってことです。
結局いつも同じことばっか書いてる気もするけど、まあいいや。
母からの卒業式だったのかもな。
私への病気からのプレゼント。
ひとりひとりの女性として、コントロールなく尊重して生きていくための。
あ、母は病と付き合いながらも、今も元気に暮らしています。
あの精神力の強さ、尊敬する。
たぶん、みんな病気にならないようにいろんなことして、予防したりケアしたりとか。
でも病気ってギフトもいっぱいある。
むしろ、誤解を恐れないで言うと、普通に暮らしてて気づきが起きないなら、どんどん病気になって、そのパワフルさを利用しちゃえばいい。
っていうか、それを身体が起こしてくるから、利用せざるを得ない。笑
病気になったからって、別に「私が至らなかったんだ」なんて思う必要もないし、病気にならないことが、優れてることでもない。
ただ、それが起きてきてるのなら、自分の生命の進みかたにとって、それが必要な状態になってるってことだ。
なってみたらなってみたで、また新しい世界が広がる。いつでもここから進む。
もちろん、しんどい道をわざわざ通らないで、病気っていうツールを使う前にもっといろいろ気づけて修正できて、身体も心も環境もすこやかになっていけたら、ラクっちゃ楽だね。笑笑