いのちのうみ
抗がん剤投与中の3日間は体力がドン!と落ち、その後4、5日かけて復調し、トータルだいたい1週間で、ぱすーん、と力が戻ってくる。
この1週間は毎日、感覚が敏感になってておもしろい。
一日一日変化して、また、どかん!どかん!と戻っていくのが良くわかる。
もちろん物理的な蓄積ダメージはあるのだけど。
薬を投与したら、もっと鈍感になるのかと思っていたけど、劇薬でいのち的にもギリのところに追い込まれるからか、いまの自分に必要ないもの、必要なものにむき出しに貪欲になる。
ギリギリに追い込まれてるから、心もむき出し。
起きるなにげないことに、自分の内側がすごく反応する。
時にはめちゃくちゃ反応しすぎて疲れる。
その疲れが、逆に気づきを引き出す。
ひたすらその濃厚ループ。
たぶん、このエネルギーでつくられる圧縮が私には必要だったのだ。
だからあんなに内側が抗がん剤をやれ、と言ってきていたのか。
これが鍵のひとつだったんだなぁ。笑
薬や物質としての抗がん剤がどうのこうのは、もはや全く関係がない。
そんなものは世間の彼方の泡だ。
善悪遊びの泡の戯れだ。
まあとにかく、いろいろとむき出しな期間だ。
今日、普通食に戻れるかんじになったので、久しぶりにしっかりと朝ごはん作ってたら、どーん、って大きな気づき。
ああ、私、自分の陽を恥じてたんだ。
陽=ソースエネルギー。根源の流れ。
まさか、自分の根源エネルギーを恥じていたとは。。。。
陰にあこがれ、陰に嫉妬し、陰であろうとした陽。
源流は同じものなのに。
片方を恥じてどうするよ。。。オイ。。
枯渇せずすべてをひたす陰の静けさ、
絶大な陽が運ぶきらめき、
それが同時に織りなされる二極のゼロポイント。
全部陰じゃなんも現れねーべ?
そこからまた一気にふくらんだ。
そしてさらに次の扉があらわれる。
大きななにか、つきものが落っこちた気分。
またもや、泣きながらむしゃむしゃ卵かけご飯とししゃもを食べる。
旦那は、そんな私をニコニコ見ながら一緒に朝ごはんを食べている。笑
陰陽ゼロポイントエネルギー、
空間マトリックスフィールドから、この世界の創造が起こってくる、エネルギーが結ばれる焦点。
そこから繰り出されてくる投げかけは、「この人生でのわたし、別の人生でのわたし、別の人が生きてる人生、それら含めすべての存在の過去、未来、と、今、すべての時間、経験の全て」の海から、「今、ここに結ばれた焦点」=「肉体を持つわたし」に必要なものが繰り出されてくる。
母なる海は網目が広大すぎて、立体すぎて、途方もなく。
その光を集めて結んだ焦点の座標としてあらわれている「今」、
それがわたし。
それが人間。
それが世界。
「もともとの世界に心を開くんだ。」
「必要なところに代謝がおきてなくて、いらんところに代謝がおきてる。」
「人の傷に敏感すぎるよ。元の強さを自覚して境界線をつくるんだよ。」
「いつまで役割を背負うことに逃げ込み続ける? 見ないといけないものを見ないようにしてるでしょ。そうやって時間軸に自分を縛って安心してんだよ。時間と空間に縛ってるんだよ。時間と空間を超えろ。パーソナリティーにエネルギーを閉じ込めて安心しようとしてることに気づきなよ。」
「それは他人の問題。背負っていたらラクだよね。見ないといけないものを見ないですむから。」
「母のメンタルトラウマを、私を通じてまるごとヒーリングする。私も同じ網目を共有してるから。これでようやく私個人の網目に潜入。」
「(旦那の母方先祖)肺への恐怖をわかってくれてありがとう。(はい、どうも~)」
「自分の使命、正しい選択を遂行することで大切な人を犠牲にしたから、私を縛る」
「戦争の記憶。犠牲。」
「私は生まれた時に母を傷つけた。私は相手を傷つける」
「正しいことをしようと思いすぎる。完全にしようとしすぎる。予測して行動しようとしすぎる。自分の中の規定を守ろうとしすぎる。それさ、だからもういいんだってば。やめちゃっていいんだってば。」
「あなたは何に期待していたの?
期待感いっぱいで今までエネルギーと労力かけたけど、エントリーしてたと思ってたものは、そもそもエントリーできてなかったよ。
てか、もともとチケット持ってないんだって。
そういうものに期待してエネルギーと時間をかけてたってことだよ。
だから、どれだけ期待しても、何も期待してなくても、期待してた結果は最初からもともと存在してないんだってば。あははは。」
膨大なデータ、行き交う情報の海。
わたしは今、わかりやすく病気というレッテルが身体にあるから、そこをベースに見ていきやすい。
治療法はもはや関係なくて、どう治るかも関係なくて、そもそも治すことはゴールでもなくて。
身体が治ってても治ってなくても、この「今」に焦点を結んで現れているものとして、全身全霊で生きて、自分の担当できる網目を好き勝手アップデートする。
それの単なるおまけが治癒なんだなあ、という気分。
病気があることはほんとうにほんとうにほんとうに、ゴマ粒のように一部でしかない。
もはやそれは問題じゃないのかもしれない。
全部単なるツールだ。
ああ、もう笑うしかない。笑
だめだー、今のわたしの文章ではこれが限界だ。笑
まるで酔っ払いのうわごとだ。笑