もともとのところに還す。体当たりこぼれ話
昨日のブログ、入院前に、あの固まりを言語化してみたかったので、とりあえずすべり込みセーフ😄
とてもスッキリしたけど、まだまだ言い訳がましくて、かっこつけてるんだよなあ。
もっともっと素直にさらっと内側の核心を突きたい。
もっと突き詰めたい。
「それ」を表現したい。
今のところ、これが限界だから、全然いいんだけどね。
ああ、なんだかまた絵を描きたいな。
ただうんこを汚くまき散らしてるだけだと私もつまんないし、俯瞰でみる視点を持ちながら、肉体と意識にまみれながら、ごくごく飲みたいほどのうんこをストレートに出せたらいいな。
そういえば、昨日FBのコメントで友達と、セッショニスト的なエゴのやりとりしてて、そうだ、決断する上でのいちばんの恐れ、書き忘れてた。
普段、自分自身のメンテナンスが自分の手に負えない時、ここぞという時に頼りにしている3人の療法家さんがいる。
皆、私が心から信頼している施術家、ヒーラー、師匠たちであり、それぞれが薬を使わずに、自分の病を克服してきた人たちだ。
3人とも口をそろえていうのは、
「抗がん剤はいらないよ」
どうにか私も、その確信を肚で得た決断を下してみたかった。
でも、「頭では」それが正しい、人間の本当の底力はとてつもない、と「知って」いるけれど、私には、まだ自分自身への不安が残ってて、どうやらハラが怖がってGOサインを出していない。
今「わたしは抗がん剤はいらない」って決断をしたら、それは不安に蓋をして、嘘をつくことになる。
セッショニスト的なエゴとしては、自分も素晴らしいセラピストだと感じたい。
「わたしだってわかっているんだぞ、きっとできるんだぞ」と、職業的自己価値が崩れないよう、カッコつけたい。
昨日書いた、
『自分の感覚や決断を信頼できない時、外の世界から「これが正解」と言ってくる声にすがりたくなる。
なぜなら奥で無意識が「私には力がない」と信じているから。
不安から「自分よりもすばらしいなあ」と感じたものを、あたかも自分のものとして取り込んじゃう。』
これをやってしまいそうだった。
わたし自身が内側から、
「あ、薬必要ないわ」って、ほんとうにはちゃんと感じていないのに、蓋をしている恐れの方を見ずに、セッショニストエゴ的な偽りで、自分自身をだましてしまいそうだった。
まず寄り添ってあげないとなのは、「私には力がない」と信じてしまっている無意識、奥の思いの悲しみと絶望。
「力がない」と思ってたくさん武装してしまった偽りの価値。
この悲しみが癒されない限り、ほんとうの意味で治癒の力が出せない。たぶん。
というわけで、今の私に等身大でやれることは、
腫瘍への不安を持ちながら、薬や、気に入った代替療法でスピードを遅らせて時間稼ぎをしつつ、奥の思いの悲しみと絶望に向き合い続けることだ、
との決断になりました。
この、奥に封じ込めた悲しみと絶望たち、
12月からここ目指してずっとやってて、本丸の扉が出てくるまでなかなか時間がかかった。
最初の扉は、家系カルマの鍵がかかっていたから、まず父方の家系エネルギーを癒さないといけなかった。
私の恐れとひいおじいちゃんの恐れがガッチリ共鳴しちゃって、頑丈な鍵がかかってた。
この領域はNESがカバーする6次元の範囲を超えてる。NESだけで私のガンがどうにもならなかったわけだよ。
ここはtimewaverが得意とするところ。
なんかRPGっぽいな~
プレイ最初の城の地下にろうやの扉があるんだけど、最初に手にいれるぎんのかぎじゃ扉があかなくて、他の大陸に旅して、ようやく絶海の孤島でろうやのかぎを手にして、最初の城に戻り、その扉の先のやつに対面する、みたいな。
たくさんの扉をあけて、そろそろ大きなものが出てこれそう、かな、、、?
どうかなー。
たぶんねえ、この深い悲しみと絶望が溶けて、元々のエネルギーに戻ったら、また何かが変化する気がするのだよね。
まだまだ変化しないかもしれないしね。
先のことはさっぱりわかんないね~笑
まあ、その時々に起こってくること、湧いてくることで、また次の決断をしていくんだろう。
今回のことを味わって感じたのは、
迷いがある時は頭で決めない
迷いがある時は何らか腑に落ちていない思いがいる証拠、その腑に落ちてない部分がだいじ。
だから迷っている今をそのまま受け入れる
空白の時間、スペースをつくる。
並行して迷いのポイントを整理する
そうすると顕在意識も無意識もエネルギーも、そこへ向かうので、思いがけないタイミングで必要な情報に必ず気づける。
気づけるためにアンテナは立てておく。
今在るプロセスを完全に自己信頼する
必ず決断できる時が来る
そうやって得た決断はとても力強い感覚を伴う。心起きなくGOできる
そしたら心身が同じ方向に向くので、その後の展開が、歯車が噛み合うようにめちゃくちゃスムーズ
って感じでした。
ガン細胞っていっても、私の身体の一部なわけで、私の毒素を引き受けて自分をガン化させることによって、本質の道を外れていることを私に気づかせるお知らせ役を買って出てくれた細胞。
抗がん剤点滴のときは、リラックスして、「今までありがとう」という感謝とともに、キラキラときれいな水が、白くぽにょぽにょしたガン細胞を洗って、お役目を果たしてくれた細胞をふわ~っと連れていってくれて、もともとのエネルギーに戻してくれるイメージをしてる。
きっと、元に戻って帰ってこいよ。
その場所を用意して、待ってるからね〜。