LIFE LOG

日々のこと、ガン治療、NES、TimeWaver ....いろいろなことをつづります

ぶるぶる震えながら、照らしていく

 

 

気づいたらあっという間に4月も半ばが過ぎた。

 コロリーナがもたらした、新しい時代のチャレンジ、

(お友達がコロリーナって呼んでたのがかわいくって、私もそう呼ぼっと♡)

 こりゃまさしく世界の脱皮だなぁ~と感じています。

  

芋虫から蝶になる時、

芋虫は、一度さなぎの中に自らを閉じ込めて、じっと横たえてる。

 

そうして一度身体をドロドロに溶かす。

 静かに、かつ、とてつもないエネルギーで、すべての構造を組み替える。

 

そうやってさなぎを脱ぎ捨てて、蝶になって飛び出していった時、

もう芋虫には戻りたくても戻れない。

蝶から芋虫には二度と戻れない。

もうシステムも構造も全部違う。

 

自分を溶かすのは、とても大変そうな作業だ。

でも、蝶になってみた芋虫は、たぶんもう芋虫に戻りたいと思わないんだろう。

芋虫では味わえなかった空へ羽ばたく喜びに、もう全身で目覚めちゃってる。

 

 

もしかして、今は、地球にとってさなぎ化が始まっているのかもしれない。

 

私自身も、病を使った自分の変化をじっくり味わうことを通じて、

その中でたくさんの迷いと戸惑いと決断を繰り返すことを通じて、

地上の細胞のひとつとして、この脱皮に参加してるんだと感じてる。

地球っていう生命体の孵化、自然の摂理に、日々ただ参加してる気がしてる。

 

今年わたしは42歳になるのだけど、

人生の半分近くにさしかかったところでガンとコロリーナが来て、

一回立ち止まって、それまでの前半の生き方を振り返ってみて、

ここから始まる後半を新しく脱皮して生きていく。

 

同じように脱皮していく世界を、

beforeの世界も、ガラッと変わったafterの世界も、

どっちも同じくらい体験できる人生をここから積み重ねていけるなんて!!

二極を味わうことが好きな私は、正直に告白すると、実は日々ぶるぶるうれしさがこみ上げている。

 

これ、絶対に味わいたかったことだ。

それわかってて逆算して、70年代後半に生まれる時期を選んだのだろうなあ。

 

毎瞬新しく湧きあがる無数の色合い。

たくさんの愛情に支えられて、こうして深い幸福感と一緒に、いまを生きてる。

 

日々、内側から湧く感覚を味わう。

これが、肉体とともに生きる喜びなんだ。

 

We are full of JOY. 

 

と、まあ、ここまで書いて、

まさに同じように脱皮と芋虫と蝶について書いている人のブログをたまたま読んで、

 

「うおー!全く同じように感じている人がいる!!!!」

と喜ぶと同時に、

「全く同じようなこと書いて出したら、なんかパクリみたいで(違うけど)恥ずかしいな、、、」

ってな自意識過剰精神が一瞬よぎった私のかわいい自我ちゃんよw

この時期、同じことを感じてる人がゴマンといるね、きっと!

 

 

さて、2、3月の覚え書き。

精神的に結構しんどい時期だった。

そこを抜けたからこそ、最初に書いたような喜びの感覚が、ブワっと湧いてくるようになったかも。

単に2ヶ月前くらいのことなのに、すごく遠いことに感じる。

それだけ、2020年は何もかもが濃密なんだね。

 

 * * *

 

実は術後、1~3月にかけて、転移のガン進行がどんどん早くなっていき、

2019/11月の発覚時から4か月で、肝腫瘍マーカーCEA16から400へと一気に25倍に膨れ上がり(正常は5以下)、

最初1ヶ所しか見えていなかった肝転移が、あっという間に草間彌生さんの水玉の絵のように、肝臓中に10数個発覚し、

また肝臓付近のリンパ節転移もいくつかあることがわかり、3月には多発肝転移の診断に変わってしまった。

 

不幸中の幸いとしては、

一番懸念されていた中央の大動脈リンパ節には転移していないので、

肺、骨などの全身転移は起きておらず、肝臓までにとどまっていてくれた。

 

それまで先生は、私の希望で抗がん剤を遅らせることを承諾して待ってくれていたのだけど、多発肝転移の診断に変わったことで、3mixの強い抗がん剤を、さらにMAXレベルで使うことを提案された。

 

 

さすがにこの時は気持ちがブレた

 

大量の強い薬剤を身体に入れることにまだ怖い気持ちがあった。

あわよくば、薬を使わないで済むならそうしたい、

 

だから11月以降、ピンときたものをいろいろ試していた。

 

その結果が、転移腫瘍の大増殖だ。。。

マジかよ。。。

 

 

ガン告知の時は、5年前のホロスコープメッセージのおかげで希望を持ってスタートできたけど、次の決断が迫ってきて、一気に不安と恐れが湧いてきた。

 

生き抜けることへの信頼はまだ変わらない。

ただ、もし行き止まりの道を選択しちゃったら、元の道にちゃんと戻ってこれるのか?、っていう不安。

命の行き先が、自分の決断に左右されるかもしれない恐怖。

 

 

腫瘍でいっぱいの肝臓を前に、

向かいたい先がわからなくなって、霧の中に入ったようだった。

 

いっそ、現代医療でやれることがありません、と言われた方が心おきなく腹をくくって、進みたい方向を選べるかも、と思ったり、

「誰か強いことを言う人のことばに寄りかかれたらどんなに楽だろう」と思ったり。

私がtimewaverで取り組んでいるスピードより、もっと腫瘍の増殖スピードが上回っていったらどうしよう

まだ肝臓は持ちこたえてくれてるけど、もし決壊したら

  

頭の中に、「今」の現実とは関係のない不安、まだ起きていない「未来への考え」がぐるぐる渦巻く。

 

その「脳内イメージ」が怖かった。

 

初めてリアルに味わう「死」へのイメージ。

 

  

怖い 怖い 怖い 怖い

 

こわいよう。

 

  

肝臓自身に、腫瘍の増えた理由をtimewaverでたずねてみると、

「大腸の手術で『次はこっちに来る!』と恐怖を感じて防御したくなった。けど、だんだん落ち着いてきたよ」という答えが返ってきた。

 

実際、timewaverで取り組んでいたことの結果が、3ヶ月経って少しずつモニター上では見え始めていた。

もしかして本当に、timewaverとNESの調整と、それがもたらす気づきで治っていくかもしれない。

代替療法に長年携わってきた者としても、できるならば抗がん剤無しの消失にチャレンジしてみたい、、、

 

そもそもわたしが今までNESセラピストとして伝えてきたのも、

「薬が身体を治すのではなく、気づきによって自己治癒力の扉が開く」ことであって、抗がん剤を使うのは、正直、敗北感のような悔しさもあった。

だから、むしろこのまま取り組むべきだ、という職業エゴ的欲望とプライドの声が耳元でささやく。

 

 

でも、予想以上の腫瘍のスピードの早さと、圧倒的な水玉画像を前に、正直疲れも感じていた。

一旦ここで抗がん剤を使って休みたい、という気持ちが湧いてきていた。

 

逆に、もし薬を使うとしたら、いろんなタイミングから「今しかない」と感じていた。

 

とはいえ、抗がん剤かぁ。。。

 各種重金属やら、中身の化学成分名もヘビーなら、副作用の経験談もなかなかヘビーだ。

実際、私の母親が去年使った時は白血球が0になり、一度死の淵を覗きこんだ。

 

ガンはポピュラーな病気だからこそ、患者、医師、各種療法家、それぞれその人たちの信念がある。

実際、ガンになってみるとたくさんの情報が集まるし、たくさんの人が自分の信じていることを伝えてくれる。

ガン関係の本も無数にある。

そして、正反対の意見も山ほどある。

 

「標準治療がまず大事だ」

「ガンは標準治療では治らない」

「しっかり栄養を取ろう」

「ガンは断食で治る」

…etc

 

どの意見や見解もだいじだと思うし、

どの意見も、一側面を表していると思う。

 

でも、一側面でしかない、って思ってる。

 

実際、たくさんの治癒の話を私も目の当たりにしているし、

私自身、ガン自体はステージに関わらず、不治の病だとは思ってない。

病気は、自分を元に戻すためのお知らせで、自分の生命力が治していくものだと思ってるから、存在の全てをホリスティックにみていく視点じゃないと、この病との向き合いは不可能だし。

自分のかけているメガネ、世界を解釈するフィルターが、ものごとへの感じ方を決めている。

 

だからこそ、薬剤を、それを使う医師を、現代医療を批判し敵視するのも、結局、「闘病」ということばが発する「相手を憎み、殲滅する戦い」の雰囲気と結局は変わらない気がして、何かがどうもしっくりこない。

 

、、、ああ、もう!  結局、外の情報は外の知識、頭の理解でしかないだろ?

それを自分に使ったとき、私はいったいどんな体験、感覚、気づきを味わうのか?

本当に毒でしかないのか、、、?

 

でも、数ある抗がん剤の中でも、MAXレベルに強い薬剤を使うことへの不安も消えない。

やっぱり怖い。

自分がどうしたいのか、なかなか決断が下せなかった。

 

いろんな相反する思いと、初めてリアルに味わう死の恐怖が摩擦になって、

どっちにも足が出せず、立ちすくみながら、湧いてくる恐れにひたすら向き合っていた。

 

そんな時に目にした記事がこれだった。

https://ameblo.jp/lifeisstrong/entry-12576912591.html

  

これを読んだ時、少しずつ内側にかすかに感じられていた不確かな感覚が、

一気に大声で喜び湧き始めた気がして、霧が晴れてきた。

 

ああ、薬も忌み嫌う相手じゃないんだ。

だいじなのは、やっぱりどう在るのか、だ!

 

 

そして、もうひとつ。 

私はつい「病気を治そうとしていた」ことに気づいた。

無意識に「自分を治してくれるもの」を外側に求める罠に落ちていた。

 

病気が発覚して以降、ピンときたものはいろいろ試してみた。

ありがたいことに、「これ、ガンに良いらしいよ」と周りの人もいろいろ伝えてくれたので、試せるものはたくさんあったし、新しいチャレンジが楽しかったので、素直にやり方に従っていろいろトライした。

でも、中には、続けるにはちょっとめんどくさいなあ、とか、おいしくないなあ、なんて感じながらも、「いやいや、とりあえず続けてみたら何か変化が起こるかもしれないし!」という気持ちで続けていたのもあった。 

それって、自分の感覚よりも、「私を治してくれるであろう、外で良しとされている権威」に無意識に従っていたんだよね。

 

「あの人がコレがいいと言ったから、、、〇〇さんはこれで治ったらしい、、、」と、なんとなく不安を打ち消すために、何かを決めてしまったら、自分で自分をないがしろにしてることになっちゃうし、結局、その療法の本質的な良さは引き出せないまま、可もなく不可もなく、

「アレも、コレも、なんだか効かない、、、」

と、永遠に自分に合うものを探して、同じところをぐるぐるするだけなんだろうという気がした。

そして、たとえうまく治ったとしても、これから先も、自分の力を外に渡したまま、無意識の底に無力感を秘めたまま生きていくんだろう。

 

ああ、私はそうやって生きてきてたんだ!!

 

長いあいだ、感情解放や内観も経てきたし、「私は大丈夫」ときれいな部分をどんどんふくらませて、本当は一番救い出したかった奥底にあった深い無力感には触れないですむように、注意深く地下深くしまいこんで、生きてきた。

ガンは、そのやり方からもう私を解放してほしい、と伝えてきた。

 

自分の感覚や決断を信頼できない時、外の世界から「これが正解」と言ってくる声にすがりたくなる。

なぜなら奥で無意識が「私には力がない」と信じているから。

不安から「自分よりもすばらしいなあ」と感じたものを、自分のものとして取り込んじゃう。

周りの価値観に自分を合わせてしまう。

 

でもそれは、私のいのちから湧き出した声じゃない。

 

他の人が信じていることは、あくまでその人の中の真実。

その人にとってのハートの瞬きで、

その人にとっては、だいじな唯一無二の真実ってだけ。

  

結局なんだっていいんだ!!!

自分がこれだ、というハートの閃きとともに確信を持ったことであれば。

極端な話、薬だってハーブだって、何療法だって、水だって、信仰だって、なんだっていいんだ、きっと。

 

そういう意味ではガンに特効薬はあるんだろう。

ただしそれは、その人の人生が織りなして積み重ねてきたものの上に乗っかるから、他の人とは同じにはならない。

 

それぞれが自分の内側から得る特効薬なんだ。

 

誰一人同じ人生を歩んでいる人はいない。

親も家族も生きてきた環境も違えば、同じ場所で同じ時間を過ごしていても、人それぞれ感じているものも違う。

この、それぞれ唯一無二の人間の素晴らしさ、

だから、ガンの発生も理由も、治癒のプロセスも、誰一人同じものがない!!

たとえ同じ病名であっても。

 

だからそういう意味で、万人に効く特効薬はないけど、その人にしか効き得ない特効薬はあると思う。

そして、それは誰も教えてくれない!!

自分でそれと感じることでしかわからない。

いつのまにか、「薬は毒で、自然はいいもの」という二元のイメージに囚われていたのだなぁ。

どれも単にこの地球上に現れて循環してるエネルギーでしかない。

 

 

とりあえず、だ、

周りの声はこれからも聞こう。

その全てを平等に置いておこう。

不安なら、不安の声に蓋をしないで味わおう。

私だって、不安や恐怖を味わってばっかなのはしんどい。

でも、不安から焦って何かを選ぶことをしないでおこう。

 

命がかかっている病気、命のリミットが見え隠れしてる状態だとなおのこと、早く答えにたどり着きたくて、手っ取り早く外に答えを求めてさまよって、ほんとは聞いた方がいい自分の声に蓋をしてしまいがちだ

 

だけど、今感じていることを、偽らずそのまま感じることを許そう。

 

「自分の選択が間違えてるかも、って感じるのが怖い。もしかしたらその選択のせいで、間違えたルートに入っちゃって取り返しのつかないことになってたらどうしよう。。。??」っていう不安を抱きしめたまま、弱いちっぽけな私でいることを抱きしめたまま、自分の人生を信頼しよう。

 

その上で、内側から湧き上がる自分の決断で、私が動くことを許そう。

難しい時もあるけど、それはそれでいいや。

きっとこれが、私の生命力のとびらにつながっている、小さな一歩だ。

 

 

どんなに良いと言われる療法でも、その力を引き出すのは結局自分の意識だなぁ

だから、他の人のやっていることがすばらしく見えても、むやみに真似する必要がないね。

それはその人の辿ってきた人生だからこそ、発動してる真実。

真実は人の数だけ無数にある。

 

私は、私の感じる怖さと信頼をだいじにすればいい。

そうやって自分を慈しんでいこう。

 

この暗いトンネルを経て3月、ようやく自分自身の決断に信頼が生まれた。

そうして、抗がん剤を受けることを決めたのでした。

 

、、、決めるまで長えよ!! 笑

 

 

 

しかし、主治医の提案する治療にすぐ「ハイ」と言わず、ことごとく「今決められません」と延期する私に業を煮やさず、腫瘍の進行の早さに焦る若い先生たちの声を知りつつも、辛抱強く私に付き合って、患者が納得して決定を下すのをじっくり待ってくれる、主治医の先生もすごいと思う。

外来診察予約も質問をしまくって毎回1時間越えになる私なので、後ろに人のいない最終枠で、時間を取ってしっかり答えてくれる。

その後も業務がびっしり詰まっているのになあ。

代替療法をやっていることを伝えても嫌な顔しないし、医師といえども自分にわからない領域のことは否定や決めつけなく「僕にはわからないから」と正直に伝えてくれる。

日大のI先生にはいつも感謝しています。

 

 

よし、ガンにならないと絶対にチケットをもらえないこの経験を、ガッツリ味わってこよう。

コロリーナなご時世にわざわざ抗がん剤打って白血球と免疫をドカンと下げるなんちゅう、ドSかつドMな人体実験がやれる機会は、人生この先もう無いだろう。

そりゃあ怖いけど 笑

変な話、受けないで治っちゃったら、

「まだ抗がん剤やってない!」って、ドSかつドMな私は再発させかねん、って妙な確信めいたものも感じたし、きっとこれで気が済むんだろう

もし、ヤバイ、って感じたら途中で降りよう。

もしそうなら、薬を必要としていないことが実感でようやく自然にわかるだろう。

 

 * * *

 

さ~て~、今回も長くなったなあ。笑

吹っ切れて以降、前にも増して、素直に喜びをたくさん感じるようになってきている。

 

とにかく毎日幸せだ。

喜怒哀楽も、無数の色とりどりの生きてる瞬間の味わいだ。

 なんだ、生きるってのは幸せなことだったんだ。

 

そんなこんなで、2クール投与しました。

比較的おだやかに経過中。

どんなふうに1クールが経過して、どうしたらリカバリーがスムーズにいくか、わかってきた。

 

日々、体力もキープしながら、毎日おいしくごはんをつくって食べて、

案外、あっけらかんと元気にやれています。

 

あと、薬剤投与中に、timewaverに自動で遠隔モニタリングされているリアルタイムの臓器エネルギー変化が、あとで答え合わせをしてみると、肉体の症状とリンクしていて、これがまたおもしろい。

そして、自動で毎日送られてくる、遠隔エネルギー調整もめちゃくちゃ功を奏していると思う。

毎回濃密なセッションでサポートしてくれる師匠には、ほんとにほんとに感謝してもしきれません。

いつも本当にありがとうございます。

 

いつも寄り添っていてくれる家族と、友人たちにも守られている。

ほんとうに心からありがとうね。

 

とにかく引き続き、ひたすら今に向き合っていくよ。

 

 

 

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