LIFE LOG

日々のくらし、NES、 ....いろいろなことをつづります

屋上ヨガ

 

PC仕事を一気に片付ける日は、


レッドホットチリペッパーズの

 

『BLOOD SUGAR SEX MAGIK』をお供に


がーーーーっと進めることが多い。

 

 

 

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Give it away, give it away, give it away now

 

Give it away, give it away, give it away now

 

Give it away, give it away, give it away now

 

 

に乗っかって、


んばばばばば〜〜〜とキーボード叩いてるとはかどるはかどる〜。

 


あ。

 

give it away nowって、今すぐ手放せ、言うてますね。

 

溜まった仕事を進めるのにちょうどいいですね。笑

 

 

 

今日、ふと、水曜日のカンパネラ

 

ジパング』に合わせて仕事してたら、


これまたはかどる!

 

ペースペーカー感が半端ない〜。

 

ややうわずったポジションで、

 

仕事サーフィン状態がキープできる〜。

 

 

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でも、気が上がりっぱなしになって、降りてこない!!

 

全然グラウディングができなくなる!! 笑

 

 

 

目も肩も凝ったので休憩がてら、

 

屋上に洗濯物干しついでに、

 

青空ヨガ。

 

 

 

思いっきり開放感で、びっくりするほど身体も伸びて気持ちよかった。

 

なんで今まで屋上でヨガ思いつかなかったんだろう〜?!

 

 

 

こんなに気持ちよかったなんて〜。

 

ちょうどカンパネラ色に染まって気が浮き気味だったので、

 

地面でヨガをするより、屋上くらいの方が

 

つなぎにちょうどよかったのかも。笑

 

 


ついでに、

 

そういえば今、またNESのスキャンで

 

「DAY」と 「ビタミンD」が出ている私は、

 

のびのび光合成をするように、日中の太陽の光を浴びるのが

 

エネルギー充電的にもとても理にかなってるのでありました。

 

 


さて、続きがんばるぞー。

 

 

ゆるむ。。。。極楽なり


たくさんの人と話をした一日の〆に、

 

大好きな友人からteateセラピーで身体にさわってもらう。

 

お互い交換セッションでありがたし。

 

 

 

teate、ほんと好きー。

 

触れられて、すんわ〜、、、、、、って身体がゆるんでいって、

 

そのゆるみの波紋が広がる時の、極上の静かな通り抜けを味わう。

 

自分自身、あったかくてシルキーなソフトクリームになっちゃってるみたいだ。

 

無理のない自然を思い出させてもらう。

 

身体もそうだし、心も。

 

ああ、そういう凝縮を今してるのね、ってことに静かに気づく。

 

凝縮が別に悪いとかじゃない。

 

けど、あったかいソフトクリームの方が呼吸も楽だし、いろいろらくちんだし、

 

ただただ、いたい方を選ぶ。

 

 


最近の私自身の内側や、環境の変化を、

 

彼女はタッチをしながらすぐ察知してた。

 

身体やさまざまな階層の雰囲気にも変化となってにじんでいるらしい。

 

おもしろいなー。

 

 

 


そんな施術後のフィードバック話や、近況バナシをしながら、

 

body, mind, spiritっていう言い方は、実は誤解を招くよね、という話題になる。

 

 

 

bodyというものがあって、

 

mindというものがあって、

 

spiritというものがあって、

 

それらは三位一体でつながりあって、、、、みたいな表現、

 

 


その方がなんとなく説明はしやすいし、

 

筋が通っているようにも思えるし、

 

ついそんな言い方をしてしまいやすいけど。

 

 

逆の表現、つまり、

 

おっきな一つのものの、ある震え方の表れが

 

いわゆる物質的な見え方(の領域)になってるだけだし、

 

ある震え方の状態だと感情という表れになるだけだし、

 

その絶え間ない動き、

 

なんかそっちの方がしっくりくるね、って。

 

 


便宜上、視点の方向と立ち位置の座標をどこかに決めて、

 

そこからものごとの話をするけれど、

 

(たとえば、原因と結果とか、)

 

そのルールにのっとって、というより、

 

今、何が起きてる?何が湧いてる? 何を感じてる?っていうエネルギーの流れに、

 

ごまかしなく気づいていくだけでいいね、と最近感じていて、

 

なんとなくそれが今のテーマになっていて、

 

そこをすくうのを今楽しんでるところ。

 

彼女に「なんか身体も変わった」と言われたのは、

 

たぶん、そういうこと関係してるのだろな。

 

 


あるひとつの視点や意見やメソッドは、

 

ある側面のことをとってもよく表すけれど、

 

それは全てでも絶対的な真実でもないと思ってる。

 

ただ、そういうひとつの側面の的確な表現というだけで。

 

他の部分は描写してない。

 


そこに固着すると、

 

それを自分の真実として同一化して生きてしまうと、

 

たぶんいろいろめんどくさい。

 

人生もいろいろややこしくめんどくさくなりそう。

 


でもそれは別に悪いことでもないし、

 

誰もが実はそうしたいからそうしてるだけだし、

 

ま。。。でも選ぶならあったかいソフトクリームの方が好みだ。

 

というだけのハナシなんだけど。。。

 

 


だんだん何を書いているのやら。

 

そもそもあったかいソフトクリームって、なんだ。笑

 

食べる前にあっという間に溶けてまうわ。笑

 

でもそれも含めて、あったかいソフトクリームって言いたいの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田 志穂展 @資生堂ギャラリー

 

 

実は写真にひとつひとつ向き合うの、

 

わりと戸惑うことも多いんです。

 

写真って、その写真家さんのまなざしというか、

 

気配のダイレクトさに、

 

どう向き合って入り込みたいか、自分の中がわかんなくなったりする。

 

あと変にこっちが固定されて、緊張して、何にも入んなくなったりする。

 

それで、「へー、そういう風に混乱するんだ、わたし」って、

 

思ったりもするんだけど。

 

 

この展覧会は楽しめた。

 


普通に見てると山の風景

 

映像が折れ曲がって投影されて、

 

または、そこに稜線のトレースを見つけるととたんに、

 

一気に見てた写真の空間世界が変わる。

 


変な妙な感覚。

 

別の時間と空間が一緒に来ちゃった、みたいな、

 

認識の変換。

 

 

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「砂の下の鯨」というシリーズ、

 

(コンセプトより)

『何度も撮影したことのある、生まれ育った土地にある海岸の航空写真を見ていると、よく知っているはずの場所に見慣れない何かで囲われた土地を見つけた。
(中略)
勝手知ったる場所の知らなかった事件に興味を惹かれ、その場所に行ってみることにした。
鯨の埋められている場所にはとても綺麗な砂紋ができていた。
(中略)
生まれ育ち、知り尽くした見飽きたと言っていいほどの場所が、知らない間に起きたひとつの事実により全く知らない場所に変化していく。
砂の下の鯨はどんな姿でそこに在るのか、それを写真にしてみたいと思う。』

 

 

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あるものがない、みたいな、

 

ないものがある、みたいな。

 

全部映像だし、幻想だし、認識の中だけにしかないし、

 

でもどうしてもそこにあるように思えるらしい、

 

それをプロジェクター投影してる感じがおもしろくて。

 

 


帰ってから作家さんのインタビュー読んで、

 

こういうこと考えてるんだー、とか。

 

世代の認識とかも含めて。

 

 

https://bijutsutecho.com/interview/4221/

 

 

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こういうつらなりの感じ、おもしろい。

 

不思議なできごと

 

先日、ひどい嘔吐と頭痛の超絶体調不良に見舞われた時のこと。

 

 

 

いちばんしんどい時、ついとっさに

 

「神様仏様どなたさまでも、ヒーリングでも、とにかく誰か何か助けてほしい!!!」

 

って、ギュンってフィールドに向かって波長を投げてしまった。

 

 

 

そしたら5分?時間はよくわからないけど、

 

身体の中がぶあーって熱くなって、

 

100あった頭痛と吐き気が、突然ぴた、って0になり。

 

 

キツネにつままれたような感じで。

 

 

誰か?何か?がやってくれたの?

 

量子フィールドのマトリックス介して

 

何かが発動してくれたの?

 

一応「ありがとう〜〜〜〜〜」の波長は送って

 

そのまま眠ったのだけど、

 

?????。

 

 

なんだったんだろ〜。

 

でも本当にラクになり助かったのは確か。

 

 

なにしろ、一瞬にして1000になったんだもん。

 

 

 

あとは、セルフteateもやってたから、

 

それで内側からゆるんだのか???

 

 

 

自分の体調が悪くてセルフteateやる時は、

 

痛みを対象として「自分、と痛み」と

 

いうふうに存在を分けないで、

 

「自分=痛み」というふうに、

 

痛みを対象にしないで、

 

自分全体でもって痛みそのものになって、

 

つぶつぶや膜として拡がっていく感覚の中に入る。

 

 

 

それになってると、頭痛とか、いろいろゆるみやすいみたいだ。

 

細かいことはよくわかんないけど。

 

 

もしかして、それがうまくいったのかな。

 

 

 

とりあえず、

 

感謝したし、ながして握りしめないでおこうと思うけれど、不思議なできごと。

 

 

 

…こうやって書いてる時点で十分握りしめちゃってるなぁ

 

たはは

 

 

ダヤニータ・シン展 @写真美術館

 

一目見て、うわぁ、強い!という写真。

 

この作家さん自身の強さなのだろうか。

 

そのブレないまなざしに、

 

女性として、共感する気持ちと、

 

そこはかとないキリキリした哀しさが。

 

 

 

赤い、包んだ風呂敷のシリーズが特に心に留まった。

 

 

女性らしさが内包する強さ、と意思。

 

だんだん人に見えてくる。

 

体温すら感じる。

 

内側の強さ。

 

熟練さ。

 

反面、滲み出る頑固さ。

 

譲れなさ。

 

そして、

 

くいしばり、張りつめ続ける哀しさ。

 

 

 

東京都写真美術館

 

 

 

 

そのまんまに

 

純粋な欲求

 

その人、その生命そのまんまに、

 

なんの余分な意図もなく、

 

動いている人、コトに触れた時に、

 

自分の奥の生命感とグッと共鳴して、

 

何かが無性にこみ上げる。

 

 

この感覚!と思う。

 

 

カテゴライズではなく、体裁ではなく、

 

ただただそのまんまということ。

 

 

 

それはつまり、

 

私自身が、

 

ありのままに感じ、入力し、

 

ありのままに感じたままに出力したい、

 

という欲求の反映でもあり。

 

 

 

そして私は、つまり、考え過ぎているのだな、と気づく。

 

 

 

椿会展2017 - 初心 - @資生堂ギャラリー

 

 

またしても、ギリギリかけこみ。

 

 

椿会展2016がおもしろくて、

 

同じメンバーで次の2017があることを知って、

 

行かないとな、と思いつつ、

 

終わり間際のすべりこみセーフ、

 

いや、パフォーマンスは見逃した。。。から、半分セーフじゃないか。

 

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きれいだなん

 

 

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空気の粒がここだけ細かく透きとおる

 

 

 

 

 

 

www.shiseidogroup.jp

 

 

インテグレイテッド心理学講座

 

週末2日間、溝口あゆかさんのインテグレイテッド心理学講座でした。

 

A Course In Miracle(奇跡のコース)や、ノンデュアリティ(非二元)、などもベースに入っています。

去年満席で受けられなくて、ほんと、1年間楽しみに待っていました!

 

 

自我と投影と、それが本当の今起きている「事実」とどうすり替わっていくか、いろんな方向からそのことについて観察し、しくみを知り、自分を観て、確認していく。

 

自分の中で何度も「うおー、うひひー!」とコッソリ叫びながら、ニヤニヤしながら、あっという間の2日間でございました。

いやもう、楽しくてね〜!

 

(そして、たまたま近くに座ったみなさんが濃すぎて面白くて、それだけで何本分も記事書けるんちゃうかというぐらい!)

 

 

 

大事だなぁと感じたこと、抜粋。

 

 

本当の自分自身は大海である、が、自分がうずまきだと思った時から分離は始まり、自我の投影を元にした「自分」があるという見え方、が始まる。

 

本当は分離もしていないし、
うずまきとして独立している「自分」もいない。

 

そういう見え方があるだけ。

 

 

大海の持つものは、うずまきにもある。


うずまきの持つものは大海にもある。

 

 

つまり、大海にもうずまきにも喜びも悲しみも不安も嫉妬も傲慢も怒りもすべて在る。

 

それが自然。


そして、常に変化をしている。

 

 

変化を拒むもの、その、うずまきとしての自分の中の感じていることを抑圧し、なかったものにすると、そのセロファンで自分の事実が見えなくなり、代わりに周りの相手をそのセロファンを通して見始める。

 

その、自分の抑圧したモノは、相手が持っていることにすりかわる。

 

これが「投影」。

 

たとえば
罪悪感を抑圧しているなら、外の人が自分を責めている、と感じる、

 

自分の傲慢さを抑圧し、自分にないものと切り離してしまっているなら、周りの人(組織や政府に対してのことも。)の言動が傲慢に見えて、その人、それらに腹が立つ。

 

すべて自分の中に、フタをされたものとしてある。

 

というか、「ないもの」を「あるもの」として、すり替えてしまって、頭の妄想のストーリーを人生として、生きている。

 

感情がそれをさらにリアルに強化する。

 

そして、そのエネルギーは今の自分を今にいさせなくする。

 

そのエネルギーを感じ、のびのびいさせてあげられることが受容と癒し。

 

内側に埋もれさせた声は、抑圧が強いほど、
逆に大きな変容の宝となる…

 

(P.S. ちなみにNESでは、どんな「ないもの」を「あるもの」とすりかえてるのか、画面に出てきちゃうよ〜)

 

自分の中にあるモノを見たくないがために、自分の本当のニーズを感じたくないがために、さまざまなものでフタをする、

そのフタとなり得るのは、もちろんいわゆるアルコールやショッピング的なこともあるだろうけど、仕事や、人間関係、病気、スピリチュアル、非二元すら、フタとして使っていることの多さ、という話もありました。

 

自分としてもあるあるだし、まぁ、ほんとこれあるあるだよなぁ〜。

 

私の好きな本、エックハルトトール『ニュー・アース』や、中野真作さんの『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』とも共通した内容。

 

 

 

 他にもさまざまなこころというエネルギーのしくみ、動きが、本当に本当に、「うわあ〜〜〜っ!」と言いたくなるくらいすっきりと整理されていて、心の解剖学(あゆかさんは「単なる観察学です」とおっしゃってました。)として、とってもわかりやすかったです。

 

 

 

それと、自分の内側を目をかっぴらいて観れるかは、また別の話(爆)

本当に観る、というのは。

 

観たつもりにすぐなりやすい私(笑)

 

でも自分が無意識に発動させている、さまざまな投影に気付きやすくなるなぁ〜!

 

とりあえず、今晩またいろいろほりほりしてみます☆

 

どんなやつ、出てくるかな、楽しみ、カモン(笑)

 

 

全うする 草間彌生展 @新国立美術館

 

草間彌生展 @新国立美術館に行ってきました。

 

先日、ミュシャ展に行った日にこっちもハシゴしようと思ったけれど、
あまりの長蛇の列に断念、今日改めて足を運びました。

チケット売り場も混雑するので、前もってコンビニでチケット買ってGO!です。

 


10時オープン着で20分待ちくらいでした。
文庫本も一応持ってきてたので、待ち時間は苦にならず。


今まで、あちこちの草間展は行っているのですが、
すごいパワフルだね〜と感動する程度で、
別にそんなに思い入れはなかったんです。

今回も、もうすぐ終了だしとりあえず行っとくか、くらいの軽い気持ちで、
ちっちゃな手提げにスマホと財布だけ入れて、
サクッと見て帰るつもりで来たんです。



それが、、、、なんかもう、


入り口の絵と、言葉読んだらなにかこみあげてきてしまって、


「あ、このパターンまずい、、、、私今日、絵を見たら大変なことになる、、、、」


って思いながら、次の部屋に入ったら、、、、




、、、、目と鼻の蛇口全開(笑)

 

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勝手に号泣スイッチが入ってしまって、
こみ上げるモノをコントロールできなくなって、
ごったがえす会場の中、涙と鼻水が止まらず。

 


、、、パニクりました(笑)


こんな日に限って、ほぼ手ぶら(涙)

どうしてくれよう、この垂れ流しを(笑)



しかたない、コートで鼻をかみかみ、
必死に自我を保ちつつ、
でもあとからあとから泣けてきてどうにもならない。

 


草間彌生の作品、今まで山ほど見てるのにさ…

 


とにかく存在のエネルギーに圧倒されてしまい、
部屋丸ごと、テラヘルツ部屋に入ったような感じで、


ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう
ぐるんぐるんぐるんぐるん


あとからあとから
いのちが、エネルギーが押し寄せてきて、
自分で止められない。


何かに押し流されるがまま、
ぼうぜんと部屋を何周も何周も周っていました。

 



絵がどうこういうより、
水玉がどうこうとかより、

なんかもう、

 


そのまんますぎて、


まっすぐすぎて、


苦しくって、


全うしていて、


神聖で、

 

体現とはこういうことなのだ、と。

 

 

 


それに触れたとたん、
もう、どうにもならない何かがこみあげてきてしまった。

 

 


、、、いや、しかし、めちゃくちゃ恥ずかしくて、
(だってジロジロ見られるし。。。)
自分でも一生懸命抗おうとするのだけど、


白旗、


奥のうねりには抗えませんでした(笑)

 

 

もう最後には、草間さん、生きててありがとう、とか思ったよねwww



こんな感じ久しぶりでした。




これと同じ状態になってしまったのは、
3年前にチェコプラハの大聖堂に足を踏み入れた時。

あの時も、精神の大洪水(笑)に見舞われてしまって、
どうしようもなく、教会の片隅でひとり大号泣。




なんですかね、忘れた頃に、
こうやって、アートの直球パンチに完全ノックダウンされることがあります。


そうやって、ごほうびのようなパワーチャージをもらうので、
あー行くのめんどくさいな、と思いつつ、
ついつい美術館に行ってしまうのかもしれません。

 

 

 

 

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N.S.ハルシャ展 @森美術館

 

ミュシャ展のあとは、N.S.ハルシャ展目指して森美術館に移動です。

 

本当は1日に1軒しか行きたくないけど、
行ける時に行っておいたほうが良いな、ということで、
久々に美術館のハシゴ。

 

パンフ見た時から、
行っときたいな、と思っていたのでありました。

 


ミュシャ展と打って変わって、
人も少なく、ゆったりと味わえそう。

 

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人物の描写がおもしろくって、
ついつい細かく見てしまいます。


子供の頃、ウォーリーを探す絵本に夢中になっていたことを思い出しました(笑)

 

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暖かみのある中に、
作家さんからにじむさまざまな葛藤のようなものや、
人間が普遍的に持つ業のようなモノ、
あと、インドという土地の持つ雰囲気、力などが感じられて、
さまざまに楽しめる。

 

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地面に絵画が敷き詰めてあって、
上がガラスになっている展示、

 

絵の中の人々と、自分と、周りのひととの全ての関係性と、

作品の中の一要素になっている感覚、とてもおもしろい。

 

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変な時空間で三半規管がおかしくなったのか、
実はちょっと酔って、気持ち悪くなったのだけど(笑)

 

 

 

そういや子供の頃の私の妄想で、

 

地球は実はそこらへんの犬の身体の細胞の原子核で、
宇宙はそんな感じでメビウスなんじゃないか、

 

という妄想を(今でも?)持っていましたが、

 

最後の巨大な絵、
「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は、
そんなことをふと思い出させるものでした。

 

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