LIFE LOG

日々のくらし、NES、 ....いろいろなことをつづります

大竹伸朗「ビル景」展 @水戸芸術館現代美術ギャラリー

 

 

1day遠足、大竹伸朗「ビル景」展 @水戸芸術館現代美術ギャラリー  を観に水戸へ~

 

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まず、ひとりでじっくり周って堪能する一周目。

次はギャラリートークに参加し、集まった10人くらいであーだこーだ好き勝手に感想を言い合いながら、お互いの視点も楽しみながらの二周目。

 

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トークツアー、初参加だったけれどおもしろかった。

レクチャーじゃなくて、それぞれが感じることを気兼ねなく好き勝手言い合いながら、会場を皆で巡る。

一周目に気づいていなかったところや、自分が注目していなかった部分、自分とは違った見方、解釈を楽しんだり。

 

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展示を楽しんだあとは、いつもお世話になっている水戸芸デザイナーさんが、この展示を企画した学芸員さんを呼んで下さり、展示裏話の小ネタをニタニタ伺いながらの楽しい楽しいケーキタイム❤️

 

とっても楽しかったので、ついうっかり、

「作品に接してると、無性に大竹さんに抱かれたくなります!」

失言のような感想を述べてしもうた。(旦那も失笑)

 

なんというか、第1から第7まで全てのチャクラ全開で生きてるんじゃないかな、という生命力ダダ漏れな、その在りように触れたくなるのです。

太い濁流感あふれる作品エネルギー、でも意識的にか無意識的にか綿密に調和がとられているし、見ていて気持ちいい。

 

作家自身の共鳴した「今」を常に真っ正直に咀嚼して排泄し続ける、小手先でよく美しく見せようとか、評価のための、とか、小賢しい脳ミソの次元を鼻クソのように全然意に介さない、その分、自分に嘘をつかず忠実にあり続けるパワフルさ、って思っちゃうんですね。

 

ま、全て勝手な妄想だけど。

 

やっぱ生命力が循環してあふれてる状態が、人間やってる上で真っ当だし、そこにある苦しさも含めて至福なんだよな、と感じてしまう。

 

人間の本来の可能性を見てみたくて、

人間の生命エネルギーと魂の可能性を追求してみたくて、

自分を含め、私は人々の生命力が解放されるさまを見たいんだろうなあ、とつくづく思う。

 

私は自分が絵描きとかではないので、展覧会に行っても、その人の描画技法や技術のすごさには実は昔から全く興味がなく。

むしろそれより、そういうものを作らざるを得なかった背景や宿業みたいなものの方が気になる。

 

アーティストの作品を観るのって、それに対峙した時に自分が何を感じるのかを観ることになるんだから、まあ、人の作品を鏡として、結局は自分を観させられに行ってるんだよね。笑

美術って自己内観装置なんだろうねえ。

 

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ところで、今回の展示で配られたキャプションリーフレットは、大竹さんが印刷所で余っている紙を集め、インクもマーブルに調合してるそうで、ひとりとして同じリーフレットがないそうです。

 

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私のはオレンジでしたが、周りの方のを見ると、黄色の方もいれば、白い紙の人も。

そして文字をよく見ると、一見、単色グレー文字に見えて、インクが部分的に赤みが強かったり、シアンが強いページもあったり。

おお、これは聞かないと分からなかった!!

 

 

 * * *

 

 

おまけ:

夏の展覧会メモ覚書

 

 

ボルタンスキー展 @国立新美術館(六本木)

会場のつくりがかっこよかった~。死のエッジが匂い漂い、記憶の行方を探求し続ける、うらはらにとてもきれいでクリーンなトーン。

同時に塩田展を見たので、魂的なエグみは塩田展の方が好きだった。

トートバッグ買っちゃった~。

 

ボルタンスキー展 @ルイヴィトンギャラリー(表参道)

干し草の匂い付きで佇んでいると、都会のど真ん中でしばしトリップできました。

 

大竹伸朗 1975-1989展 @TAKE NINAGAWA(東麻布)

好き!

以上!ww

 

メモ取らなかった、忘れちゃった。。。@complex665(六本木)

 

シンコペーション @ポーラ美術館(箱根)

どの展示もとても良かった。思いがけなくすごく楽しかったです。

現代美術家さんの水のインスタレーションの隣にモネの睡蓮があることで、より、モネは水を描きたかったことが際立ってわかったり。

マティスリュート」の実物!素敵! クリアファイル買ってもうたw

外の森も気持ちよくて、スーザンフィリップスさんの音の展示の瞑想感が気持ちよかった~!

 

京博寄託の名宝展 @京都国立博物館(京都)

京博1Fの仏像フロアが大好き!ライティングと演出が超かっこいい。毎回しみじみかっこいい。

企画展は国宝づくしだったので、お宝をたくさん愛でてきました。

テクノゴッド(by ドイツ人)な風神雷神も久々に見たし、教科書の頼朝像を初めて実物見た~。

 

相国寺承天閣美術館(京都)

お庭素晴らし。ほとんど誰もいない中でゆっくり若冲の絵も見られた。

 

ドレスコード @京都国立近代美術館(京都)

オランダ人写真家さんの、似たファッション系の人たちを定点観測で膨大に集めた作品がすごかった。

ファッションは自己主張のようで、ひとつの系として括られてしまうおかしみ。

 

etc

 

 

ああ、、、、

やっぱり進撃展見たかった、、、

(まだ言うか)

 

 

 

 

塩田千春展 @森美術館 +進撃の巨人初心者

 

ようやく行ってきました~、塩田千春展「魂がふるえる」@森美術館

 

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/

 

 

実物を拝見するのは初めてです。

パンフを見た時から、これは行かねば~!と感じていた展覧会。

 

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人間である以上、リアルに肉体や心を通じて日々自らを通り抜ける何か。どうしようもなく自らの内で感じていること、そこにはいろんな感情もあるだろうし、無数の身体感覚を伴ってもいるだろうし、それらに生き物として真っ向から向き合い、ぶつかる中からすくい上げ、また、そういう生き方しかできないアーティストのサガというものをどっぷりと味わい、期待以上の大満足感で帰ってきました。

 

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感情と身体感覚層から得られる精神領域のヴェールのさらに向こうに垣間見える白い何かをつかもうと、作家自身が作品そのものを生き続けているような。

 

そう、ほんと、そこを見たくて人間やっているのだよなぁ、と深く共感。

 

 

 

おまけ:

塩田千春展の隣フロアでやってた「進撃の巨人」FINAL展。

読んだことないんだけど、「進撃、行列すごかったな〜」と、ふとタイトルで検索したら、ちょうどkindleで漫画の10周年記念全巻1週間無料キャンペーンをやっててタイムリー、つい読み始めた。

、、、完全に沼りました。

巨人が人を喰うグロい話じゃなかったのね。

この物語すげい。

ちょうど9月の箱根旅行中、読みまくりました。

10年遅れの初心者スタートで、1週間で最新号の別冊マガジン121話まで追いつき、関係性と時間軸を把握し、NETFLIXのアニメ版もシーズン3まで追っかけ超スピードで見ましたw

 

ああ、今なら隣でやってた進撃展行きたい〜〜〜〜〜ww

あそこに原画があったなんて〜〜〜〜〜!!www

 

今もう進撃展は大阪に巡回で行ってしまったけれど、ニワカすぎて、流石に大阪にまで行く気力はないです。。。

 

見たかったな。。。

 

 

 

 

生み出され

 

 

 

お久しぶりのブログは、今のNESレメディ飲み中に、ふと、腑に落ちた気づきの覚え書きです。

 

今回のボトル

●BFA:自分の軸に戻るボトル

●ED5:血液循環。心身や環境、全てのエネルギーがスムーズに流れることをサポート

 

 

闘病中の母へのセラピーはいつも遠隔だったので、周波数デバイスを直接やろうと思って持っていったら、フル充電なのに急に電源が入らなくなりブラックアウトした💦

 

強制再起動しようとしたけれど、普段セットにしてるコード一式忘れてて、結局何もできずじまい。

 

そして、その帰省中、「自分に集中しろ」ってメッセージを2回、目にして、

はっ、と思い当たった。

 

頼まれてもいないのに、私、母を「治そう」という意識でセラピーしようとしてた、ってね。

 

普段クライアントさんにはそこはきっちり「本人が治す」意識を保っているのに、母相手だとそのラインを崩してしまってた。その意識で向き合ってはいけなかった。

 

東京に帰ってきて再起動したら、機械が元に戻った…🤣🤣

「そんな風にやってはいけませんのよ」のサイン🤣

 

 

そしたら、ふと気づいたの。

 

ずっと「私は生み出せない」っていう思いを根底に握りしめていて、どうしても私のエゴはそれを克服したがった。

 

生み出せないことは無価値、っていう深い深い刷り込んだビリーフがあったから、価値ある何かを生み出すために、そして、役立つ私でい続けなければ、と無意識で思っていた。

 

でもものごとは、私が生み出すんじゃなくて、全ては「生み出されてくる」ものなんだ。

 

「私は生み出せない」も「私が創り出す」もどっちもマインドの嘘だったぁ!

 

それを「私が生み出さなきゃいけない」、って思ってたから、そもそも生み出されてくる流れを止めていた。

 

「生み出され」が勝手に通る流れのパイプにいい塩梅でなっていさえすれば良かったんだ。

 

人間ひとりひとりが無数の流れバージョンの出口、湧き水の出口、それぞれカラフルに流れ、生命力がこの3次元に点を結ぶ出口ってことだよね。

 

 

そしたら、人生の主体は「私」と思えているこの人間の方ではなく、「生命の流れ」が主語だし、そっちが本体で主役ってことになる。

 

 

頭や自我意識は「私が人生を作る」とか「私が〇〇を生み出す」とか考えて頑張ってしまうけど、

 

きっと、「私」がなにかをつくっているんじゃない。

 

「私が」つくっているように、「私が」生み出しているように見えてしまっているだけで、

 

湧き水の出口から、とどまることなくじゃんじゃか無限に生み出されていろんな状態で巡っている生命力は、その出口の周波数の在りようで、どんな生み出されとして現実になるかが決まってくるんだろうな。

 

 

そしたら、パイプ&出口役の、便宜上「私」という自我を抱えた存在(=人間)がやったらいいことは、

 

私であるパイプを通ってくる「生み出され」が常にスムーズに通れるようにしておくことだったんだな!

 

「私」は通ってもらうものだったのだなぁ!

 

 

パイプは、自分じゃないことをやってたら曲がるし細くなる。そしたら生み出されが通れなくなる。

 

もともと担当してるまっすぐな太いパイプで在り続けられるよう、曲がってしまってたら、自分じゃないことからは離れて、パイプを元に戻していこう〜♪( ´▽`)

 

 

、、、というのが、軸と流れのボトルを飲んでたら、湧いてきた気づき。

 

 

 

 

ito,ito,ito!!!

 

GWはあちこちで片付け。

 

引き出しの奥から昔作ったブローチチャームが出てきた。

 

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なつかしくうれしくて、さっそくトートバッグに付ける。

 

ついでに前から行ってみたかった糸のお店に散歩がてらGo。

 

30分くらいの新緑ウォークが気持ちよい。

 

お目当てのお店では、機織りのワークショップもやっていて、ちょっとうらやましい。もくもくと楽しそう。手を動かしたいなぁ…むずむず…

 

いくつかすてきな糸を買えました。

ふふ〜

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なに作ろうかな〜

 

 

 

やらかしてるパターン

 

とても行きたかったイベントがあった。

 

内容聞いて、わあ♡と感じたけれど、

「あーこの曜日は私はいけないなぁ、、、」と思って、その時は何の気なしにあきらめた。

 

でもふと、仕事場の窓際でパソコンに座りながら、

「あー行きたかったなぁ、、、」と、ぐちぐちした気持ちでその日仕事をしている自分の姿のイメージがわいたとき、

「これ、いつものやらかしてるやつやん!」と気づいた。

 

 

まず「行けない」ことを、自分で条件反射で決めつけているな、ということ。

 

そのイベントは木曜日だった。

木曜日は仕事場で交代してくれる人がいない曜日(他の曜日だったら交代してもらえるのだけど)で、

私は無意識に「あー木曜日だったら仕事に行かなきゃいけないからイベント行きたいけど行かれないなぁ」と条件反射をしていた。

 

でもそれは、自分で決めた制限、このエネルギーの使い方はしぼむやつだなぁ。

 

だから、まず行きたいのだったら素直に「行く」っていうことを自分の中で決めた。

 

そしたら、こういう風に調整してったらいいじゃん、と素直に思いつく。

 

当たり前で簡単なことなんだけども、私は無意識の中で、自分にはできない、やってはいけない、と決めつけていた。

 

 

これ、めっちゃ自分のパターン。

何か自分のやりたいこと、言いたいこと、伝えること、自分の思いを相手に伝えること、が私は昔から苦手だったのだ。

そんなことをやらなければいけないぐらいだったら、我慢しちゃった方がラク、につい流れるパターン。

 

でもそれは、本当は納得してるわけじゃなくて、何かをめんどくさがって本心を押さえ込んで飲み込んでいるから、どこかモヤモヤとしたエネルギーが身体と場に残る、なんとなくの気持ち悪さ。

  

昔から好きにできないのが嫌で、正社員も1年半で辞めてしまったし、そこからずっとフリーランスで仕事をしていることが多かった。

曜日が決まっている仕事だと、シフトとか交渉しなきゃいけないし、どこか行きたいときにぴょいっと行ったりすることができないのが嫌だと思っていた。

そういうことをできない環境は嫌だ、と思っていた。

環境のせいにしていた。

 

でもそれは、「自分がこうしたいと思っていることを私は伝えることができない、私は伝えられない」という、無意識にひそんでいる、長年馴染んだ自己否定OSのパターンだと気づいた。

やりたいことを伝えることができない自分、自分を優先できない自分に直面したくなくて、周りのせいにしていたのさ。

 

 普段の顕在意識ではそんなことは思っていない。
むしろ、「私は言いたいことを言う」人だと思ってさえいる。
でも、どれだけ本当に伝えている?、と、ゆっくり丁寧に観察していくと、
「アレ? 笑」

 

 

奥の方にいる、

「私は自分のしたいことを伝えられないのです、私は自分のしたいように動いてはいけないのです」のエネルギーを大事にしていたのです。

 

(なんで無意識に大事にしているのかは、さらに奥に閉じ込めてる思いがあり、自分の世界が危険に晒されないよう守るためであり、こうしてれば安全だ、と感じられる深いメリットがあったからです。ちなみに私は「不公平だ」の深い自分の怒りに直面したくないがために自分を禁止することでその扉を守っています。この怒り、まだ向き合ってあげてないんだよね 汗  だからサイン送られてきてるとも言えるけど  汗  次のマインド期にやるから待っててくだしゃい、私の奥よ…)

 

周りのせいじゃなかった。

自分が自分を縛っているんです。

全部、自作自演だった。

 

「私が我慢すればいいか、まぁしょうがないなぁ」と押し込めたエネルギーが生み出される泉である、「私は自分のしたいように動いてはいけないのです」の思い、さらにその奥に押し込めてる怒りや深い悲しみなどマグマ的OSに気づかない時、それが積もり積もると、自己犠牲感、私は我慢すればいいんでしょ感が強くなる。でも自分では奥の泉とその下のマグマ(=生命力)に気づいていない。

そしたらエネルギー圧力は、自分の周りの環境を非難する方へ働きます。

 

周りの人がわかってくれない、とか、

あの人が悪い、とか、

周りの環境がこうだから私はやりたいことができない、とか、、、、etc

 

 

でもそれはぜーんぜん違う!!!!

 

100%違う!!!!!!

 

 

 

自分の奥にある、凍って動けないエネルギーが見せている投影、自分で作り出している幻想でしかない。

 

 

(これをやってる人、すごい多いんじゃないかと思う。人に怒りが沸くとき、そしてついに喧嘩になるときに「いつでも私が我慢すればいいんでしょう」とか、「私が我慢すればうまくいくんだわ」とか、「どうせ私は優先されないんでしょ」「私のことわかってくれない」とかのパターンは全部お仲間だと思う〜)

 

 

でも、そうやってその子は一生懸命私を守ってくれていた。

小さな私なりのとらえ方で。

ありがとうね。

 

そして、そのパターンをやめたくない、だってそうやったら守れるんだもん、と言っている、小さなyukoちゃんの思い、感覚、身体の感覚、をゆっくりじっくり味わって受け止めてあげた。。。。

 

思い出すとまだ泣けてくる。

 

 

ああ~、忘れないように一気に書いた!

 

たぶん、少し肩が身軽になった気がする。

 

うひ~~すごく楽しみだなぁ、やっぱり行くって決めてよかった♡

やっぱりうれしい。

 

って、まだ仕事の調整進んでいないけど。笑

なんとかなります。もう決めたから。笑

 

もっともっとエネルギーの身軽さ、味わいたい!

 

ーーー

追記:

無事参加します❤️👍楽しみすぐるよ〜😆

どなたかぜひご一緒しませんか〜?

少人数の濃ゆい会だそうです❣️

 

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https://www.facebook.com/events/326783504578192/?ti=icl

 

 

 

 

身体は絶対にまちがえない

 

 

身体は絶対に間違えない。

 

いのちは常に自らを生かすため、最善の選択をしてる。

 

肉体にとっての毒素  代謝しきれない過剰栄養素(脂肪、糖etc)、環境毒素、感情毒素、、、etc

 

いろんな理由で生命のどこかのバランスが崩れた時、そのバランスの状況、そのバランスにおける自分の手持ちカードの中で常に、身体は自分を生かす最善の選択をしてる。

 

今の暮らしの状態、気持ちの状態をキープしたい、との無意識の要望にも答えようとする。

ここ超絶身体からの愛情であり、叡智でもあるのだなぁ。。。

 

(例)

「そうか、今のその生活習慣、感情を持ち続けたいなら、この臓器を眠らずに働かさんとあかんな! そのストレス持ち続けたいなら、常に交感神経張っておかないとあかんな!了解した!」

 

 

もし、その結果、「病気」ということを身体が選んだとしたら、

生存戦略として今、その状態が、その人の身体、感情を今のパターンのまま生きるのに、今のまま生かすのに、病気の状態であるのが最適なバランスだということ。

 

例えば、ガンは身体中になんらかの毒素が溢れた時、つまり、毒素を外に出しきれない、出しても出しても毒素がそれ以上に入って来て溢れちゃう時、身体が外に出すことは間に合わない、このままじゃ死ぬ、と判断して、身体の中に毒素の貯蔵庫(核廃棄物保管所)を作った状態、でもあるんじゃないかな、とNESを扱うようになって、感じている。

 

ガンになってる細胞は、自らを殺して廃棄物保管所に名乗り出た細胞で、敵どころか、むしろ真逆で、愛ゆえの細胞だったんじゃないか??

 

(以下妄想)

「誰かが犠牲になって毒捨て場引き受けなきゃ、もうこのバランスじゃあ全体が死ぬぜ、、」

 

「、、、よし、わかった、、俺、もう胃細胞としては死ぬわ。今のストレスバランスじゃあ胃のポテンシャルを落とすのが一番バランスいいわ、、、。明日からがん細胞になるから、みんな俺に毒素を集めてこい!!」

 

「胃細胞~~(T T) おまえって奴は

 

「くっ、、、、よし、みんな、全身の毒を胃に集めてこい!」

 

、、、、すいません、なんの根拠もない妄想です。

 

まあ、言いたかったのは、発病しなければもっと死期が早い、ということの身体の総意で発病させて、もがいてるのではないか。

 

身体に負担のかかる暮らし方、又は感情のストレスパターンを持ち続けており、身体はその追い詰められた中で、少しでも長生きするために発病させているのではないか?

 

病気があるから、今死なないですんでいる。

気づくチャンスを与えられている。

 

身体が病気を使って生き延びさせてくれようとするほど、自分を生かそうと頑張っていることに気づくこと、

病気を恨んだり敵視してる自分の視点が、どれだけ身体の働きの裏にある思いと食い違ってるか気づくこと、

 

どうしたら、そこまで私を生かそうとしてる身体達、細胞達をサポートしてあげられるか。

 

それは、今までの生活のしかた、心のパターンで、細胞たちに負担だったところに気づいて、パターンを変えると「決心」=コミットし、「行動」すること、

 

自分を動かすOSとなっている感情のパターン、さらにそれを生み出している無意識の欠乏パターンに気づいて、その世界の捉え方、観え方をどうしてする必要があったのか、自分が見ないように抑圧していた本当の声、感情の塊に気づいて、本当の自分の思いを抱きしめてあげること。

 

身体と心は一緒のもので、はがして存在することはできない。

 

そうしたら、身体が「あ、病気を使った生き延び方、少しずつ辞めていいっぽくなってきた?!」と細胞のポテンシャルも上がっていきやすくなるはず。

 

 

 

 

 

早寝早起きを甘くみていた

 


お世話になっている中医学の先生から、
「早寝早起きしてくださいよ〜。10時に寝て5時に起きて!!」と言われたのが半年前。

 

中学生くらいからずーっと早寝早起きが苦手だった。
学生や会社員の時は死ぬ思いで朦朧としながら起きて、
フリーランスになってからは、ここぞとばかり、好きな時間に起きる生活だった。
半年前までは、1〜2時に寝て、起床時間は大体8〜9時くらいだった。

 

それが、いきなり5時起きでしょー。笑
死ぬかと思った。笑

 


いや、実は4年前にもアーユルヴェーダのHikaru先生に、
「10時に寝て朝5時に起きなよー」と言われておりました。。。。。

体質的に胃腸が弱くなりやすいので、
22時〜2時はちゃんと寝ること、ちゃんと消化器を休めてエネルギーを燃やすために、その方が合っているよ、と。

 

でも、あまりのハードルの高さに、当時は3日でアウト。
絵に描いたような三日坊主でした。(一応3日は続いたことを褒めてあげよう。笑)

今まで気持ちよく早起きをした経験が当時なかったので、
体質に合っているよ、と言われても、当時ピンときていなかったのです。
(Hikaru先生ごめんなさい。。。)

 

 

そこから4年経ち、2018年。
同じことを中医学の先生にも言われまして。
密度の濃い身体レベルが全てのベースなんだし、しっかり整えたほうがええだなー、と、さすがに重い腰が本気で上がりました。

 

22時寝5時起きと共に、食事のアドバイスももらい、
食事は、朝普通にしっかり食べ、昼はがっちり(普通の人の晩ごはんの量)、夜は食べないもしくは納豆1P程度。

 

この食事の変更がてきめんでした。

夜の時間に胃腸がしっかり休めるので、朝バチーーーーっと目が覚めるのです!!!
今まで朦朧と起きれなかったのは何だったんだ?
まるで自分じゃないみたいな感覚です。

 

午前中は今まで基本的にエンジンがぷすぷす言っていましたが、
朝からビシバシモノゴトに取りかかれることの素晴らしさよ!!!
(普通ですかね。。。。汗)

朝起きれると、夜自然に眠くなるという、この普通な感じをまさか味わえる日が来るとは!!!!!!

 


22時〜2時は内臓のお休み時間。特に肝をお休みさせる時間。
夜しっかり食べていたり、遅くに食べていると、
寝ている間に内臓が休めない。
夜中もせっせと分解して代謝して働いて、ようやく休めると思ったらもう朝がきて、
そりゃあ、朝、疲れが残っているわけだ。。。
特に胃腸が弱めな人は、そんなんじゃ朝ごはんを食べる気にならないのも当たり前だし、逆にその状態で朝ごはんを食べるのも、内臓に酷というもの。バッドスパイラル。。。


今いろんな健康のスタイルがあって、朝の時間は胃腸のおやすみの時間というスタイルもあるね。
それが合う人もいると思うので、自分にあった胃腸のペースをつかめば良いとおもう。
私は夜ごく軽い方が合うみたい。
身体が「コレクト〜〜〜!!コレクト〜〜〜!!!」と細胞が喜んでいる感じがなんとなくわかる。

 

中医学の先生は「35才すぎたら、一日二食くらいがちょうどいいよ」とおっしゃっていて、確かになあ、と体験してみて思います。

 


そして。

 

早寝早起きと食事と漢方を実践して1ヶ月後にNESで測定したら、
もうびっくりするくらい、整っていました。
あんなに整っているスキャン結果、今までどの人からも見たことない!!!笑
明らかにわかりやすすぎるくらいエネルギーが整っていました。

肉体に近い密度の濃い領域(内臓エネルギー系、経絡系ほか)は、軒並みビシーーーーっと整って、エネルギーの通り道がしっかりできていました。


体感ではすでに実感していたことを、NESでも実証した感じ。


で、エネルギーの通り道がしっかりできた結果、一ヶ所、ピカーーーーーっと「今回ココやれるよ!」のシグナルがついていたのが、潜在意識コアビリーフ。
NESで言うところのリバレーター領域。
一番深い部分です。
「そこに取り組める準備ができたよ」とエネルギーが教えてきました。

 

土台が整わないと、その奥に控える潜在意識のもの=深い押し込めた感情や思いのレベルに取りかかるのは大変しんどいです。やんない方がマシなぐらい。
取り掛かってもいいけど、潜在意識方面に取り掛かる時はぐったりするほどエネルギーを使うので、身体含めて土台のエネルギーが満ちていればいるほど、ラクに解放に取り組めるのです。
身体のエネルギーが通れば、奥のものに向き合いやすくなる。

だから何かモヤモヤしていたり、胸の中に重さがある時は、まず身体をしっかり整えるのがおすすめなのだなあ。


逆に言うと、土台が整ってない時は、安全装置として無意識に奥に行かないようにする(これは身体と生命の持っている叡智だと思います)ので、トラウマを解放したくてたまらないのに、全然進んでいる気がしないとか。

ずーっと同じところを気持ちがぐるぐる回ったり。(その時のエネルギーレベルにはむしろその状態が安全。)


そういう時、ふと、

 

身体いたわってるかな?
規則正しく生活してるかな?
ちゃんと細胞が求めてる分の栄養、届けてるかな?
早寝早起きしてるかな?
呼吸してるかな?

 

と当たり前のことを振り返って、そっちを優先するのがいいかもしれません。

その方が、急がば回れ、で次のステージへスムーズに流れていくような気がします。

 

(自分が今何を必要としてるのか、身体と心の声を確認したい時はNESおすすめだよ 笑)

 

というわけで、まるで別人のように朝も苦ではなくなり、半年経った今も継続中。

秋になって夜も長くなり、なんとなく23時寝6時起きの日が多くなってきてるけど、定着しているし、心身がラクなので、このまま続けようと思います。

 


やっぱり、身体整えることの即効性、、、すごい、、、、。


といまさらながらに実感です。

 

 

 

 

 

 

解釈を事実とみなしているわたし

 

緊急地震速報で目が覚めて、そのまま目が覚めてしまったよ。

 震度0だったけど、システムの誤作動かなあ。

 あのアラーム音は警告を想起させる音として最強だねえ。

 

 

 

起きてしまったので本を読んでいる。

ついでに日記でも書く。

 

溝口あゆかさんのメルマガで紹介されていたバイロンケイティの本を最近読んでいます。

「ザ・ワーク」

 

 

「人間は頭の中で解釈しているコトを現実だと思い込んで生きてるんだよ」ということを、文章を使ったワークを通じてあざやかに伝えている本。

 

読んでるだけでも気づきがあるけど、実際に自分を捕らえて離さない思いについて、ワークの手順に沿って文章化してみるととてもおもしろい。

 

4つの質問を当てはめてみると、いかに自分がちゃんと現実を観て生きていなくて、頭の中で生み出した解釈をめっちゃ信頼してて、それが現実だと思い込んで生きてるか、に気づける。

頭の中の解釈って、「〜と思う」「〜に見える」「〜って感じてる」で表されることすべて。

 

イラつく出来事や人に悩んでいる人にもオススメです。

いかに自分で自分をイラつかさせてるだけかわかります。

全て自作自演。

全ての苦しみは自分で作っているし、相手が与えているんではない。

相手もありのまま生きているし、自分もありのまま生きている(本当は。)

その自然があるだけ。

その自然が展開しているだけ。

 

わたしもたくさんのフィルターをくっつけてるけど、自分の中で結構パワーが強いのは「上の人の思い、意図に背いてはならない(言われたら従う、汲み取る、自分の思いを伝えてはいけない)」かな。

 

このフィルターで内側が反応した時に「ほれ、信じてるよ」と気づけるように取り組んでいるところ。

流れてくる思考を掴んで離さない時、に気づく練習。

オープンマインド、マインドフルで在る練習。

 

そのありのままの現実に自分の心の解釈(深く染み込んだ価値観といってもいいのかな)が抵抗した時、悪いのは相手だ、と投影の幻想ストーリーが始まるし、その(頭の中にだけある)世界観ストーリードラマの主人公として自分がどっぷり生きてしまうし、自分ドラマの中に苦しみをどっさり創り出すし、周りにも振りまくし、自分の中の思いのぐるぐるが止まらなくなる。

これを地獄と言わずしてなんと言う〜。

全ての人類の体験あるあるの、思いこみの嘘っぱちの世界がそこに貼りつくんだね。

 

コースインミラクル(ACIM)で使われている単語が、キリスト教っぽくて浸透しずらいなあ、難しいなぁと思うひとはバイロンケイティの方が読みやすいかも、と思った。

 

公式サイトから小冊子的なものとワークシートもダウンロードできるよ。

 

よーし、挫折中のACIMをもう一度読んでみようっと。

 

言わんとしてることは一緒だし、それが真実だと思う。

 

わたしもぐるぐるしたり、ハッと気づいたり、またぐるぐるしたり、を繰り返しながら、人間一人芝居やりながら、今日も元気に生きたりぐずぐず生きたりしています。笑

 

さて、寝よ。おやすみなさーい

 

 

 

最近のワークから

 

めっきり涼しくなりました。

 

というか、突然涼しくなりました。

 

 

 

久々にブログを開いたので、備忘録がわりに書いておこう。

 

たて続けに、それぞれ別件でイラっとしたことが続いたので、

「お、これは何のフィルターかな?」と思い、探ってみることにした。

 

出来事と相手は違ったのだけど、自分が反応しているイライラポイントが同じ、ということに気づく。

同じタイプのイライラ感が生じてきたのね。

 

一応、それぞれ別々に、フォーカスして、内側を味わっていった。

 

そしたら、どちらも同じ「思い」にたどり着いた。

 

 

「私は主張してはいけない、」

「私は自己表現してはいけない、」

「私は犠牲にならなければいけない、」

 

 

ウオッ、なかなかに禁止している!!

 

これらを深いところで信じていて、どうやら自分に禁止していて、

だから、あるタイプの主張をされると、私がその思いを抑圧しちゃってるもんだから、余計にビンビンに響いて、勝手に反発の気持ちが生まれて、さらに卑下しすぎて過剰にへりくだる、、ということでしたか。

 

この仕組みが腑に落ちてくると、「自分に起きてる」と思ってる現実が、全部自分の内側の仕組みから生まれてると気づけるようになってくる。とってもヘルシー。

だから、イライラはするけど、それは自分のエネルギーが凍っているところを教えてくれるシグナルなので、「この人が悪い」とかあんまり思えなくなります。

、、、いや、まあ、多少は思うけど(笑)、

瞬間的に「ぴきっ(怒)コンニャロ、チクショウめ」って思うけど、一方で、

「相手がそう見えるのって私は何をしまい込んでるのだい?yukoさん?」

とニヤッと「キラーン!」と問いかけてくるもう一人の自分もいます。

だって、結局自分がしまい込んでるモノを投影して、そう見えてるだけだもん。(ガクッ)

 

 

 

、、、話を戻して、なんでこの思いを信じている?と、身体にフォーカシングしていった。

 

そしたら、小学校1年生の体育の授業の1シーンがフッと出てきた。

あるリーダー格の女の子をマラソンの練習で抜こうとしたら、

「あんたごときが前に出てこないでよ!」と睨まれたシーン。

 

、、、おお、こんなこと忘れていましたよ。。。

 

そのシーンをよーく味わいながら、また身体の感じに戻ってみた。

 

胸のあたりに黒いビニールで包まれたような血の塊みたいなのがあった。

そこを丁寧に味わってみる。

 

少しずつ形が変化して上に上がってきた。

オエっ、と、吐き気。

 

それと同時に、怒りと一緒に

小さな私がオイオイとイメージの中で泣き出した。

 

 

しばらくその場に留まって流してあげてみた。

 

少しカタチが変わったようだ。

 

ふと、その時、

思春期の中高生の時の鎧がわかった気がした。

そうやって、自分の奥で信じていた思いに抵抗して、自分を守ろうとして余分に鎧を着込んでいたんだ、と気づいた。

いやあ、重い荷物を運んでいたねえ、今まで。

いろいろ頑張っていたんだねえ。

 

 

、、、、そして、そもそも、6才の私がそういう反応をしたのには、さらに信じ込んでいるビリーフがあるんだな、ということも。

 ↑

この奥のビリーフは、もうNESのスキャンでも何度も出ているから、あとはそのイメージに向かってワークをするだけなのだけど。

ちょっとまだ気が向かない。

自我が抵抗しております。笑

だって信じて守ってるんだから、消滅したくないもんね。笑(言い訳)

 

 

フォーカシングとRFTを学んで、セルフワークがやりやすくなった。

とはいえ、セルフだとまだまだ奥に入っていけないことも多くて、

もちろんセッションを受けた方が絶対的に早いだろうけど、

自分で探ってみても、たまに大きな揺さぶりが起きたりするから楽しい。

セルフワークは自分の筋トレみたいなものなんだろうなあ。笑

 

 

とりあえず、今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふたりの母の病気

 

 

 

めっちゃ久しぶりに書くなあ。

 

 

2018も、もう2月も後半になってる。

時間の流れが早い。

 

のんびり過ごしてはいるけど、

とにかく早い。

何もかもが早い。

 

そんな流れの中で、ふと、何か書いとこ、と思って開いた、けど、

まとめて順序立てて、何かを書くモードにはなってない。

これから怒涛の確定申告作業に入るから、その前のストレッチ気分です。笑

 

 

 

日々、今湧いてきてることに向き合っている。

振り返ると濃厚すぎる日々、だけど、

実は詳細はもうあまり覚えていない。

 

 

 

えーと、自分の人体実験としては、

 

年末から、ジェムセラピー(宝石周波数照射)のモニターを受けさせてもらっていた。

エネルギーに鈍感な私でもこりゃやばい!と感じるくらい、全身に流れ込んでくるエネルギーがパワフルで、相当なお掃除のサポートになっていたと思う。

めちゃくちゃありがたく、感謝感謝です。。。

 

 

流れで、同時にフラワーエッセンス。

 フラワーエッセンスもめちゃくちゃ振り回してきた。笑

いや、私が植物の本質をあらわすエネルギー、その、人間を凌駕する生命エネルギーの力強さについていかれず、ブンブン振り回されていた、というのが正しい。。。

 

 

年明けからは、今回は自己スキャンでのNES

出ているテーマは、「交換」「変換」。

臓器周波数でいうと肺と肝臓。

この肺と肝臓のもつテーマはなんかすごく似ている。

 

ED7 肺

・自分の考え、信念、自分を縛るものを手放すことへの抵抗

・古いものに固執して、一番欲しいものを得られない

・新しいものとの交換を受け入れない

「人生は自分の欲しいものを与えてくれない」

 

ED15 肝臓

・今までの価値観、考え、信念のパターンに自分が縛られ、新しい可能性、世界を別の見方で生きることに変化していかない。

・固まった信念、思考パターンから自由になれない

 

 

、、、、とんでもない時期だった。

めちゃくちゃ出来事は引っ張られてくるし、体当たりで自分の内側を見させられるし、体感としてはなかなかにしんどかった。

それと同時に、新しい出会いにあふれる。

必要な情報もどんどん洪水のように入ってくる。

 

濁流に溺れそうだった。

いや、実際溺れた〜。笑

わちゃわちゃしてマインドも揺さぶられる。

 

抜けてきた今、相当の内的変容を体験して、ひとつ大きなものが弾けた。

 

 

 

何を信じてる?

何に委ねている?

何に何を投影している?

 

気づくだけでいい

気づくだけでいい

気づくだけでいい

 

 

投影して幻想を生きていることを。

 

もう、その投影ストーリーはやめちゃっていいんだよ。

 

 

 

 

 

、、、そういえば、そんな中起きてきていたことのひとつ、

 

1月末に母親が脳梗塞で倒れた。

 

もともと膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)を30年患ってステロイドを摂取し続けているので、今回も副作用の延長だったようだ。

 

そして翌週、今度は義理母が入院する。

こちらはもともと10年来のリウマチからの、糖尿病発症。

免疫と代謝の力が低下している。

 

 

二人とも、自己破壊抑圧型の免疫疾患。

本当は感じることを許したかった感覚、怒り、悲しみ、要求、ショック、生命エネルギーを抑圧して、抑圧することが自分へも周りへも愛だと無意識に信じて、封じ込めて、その生命の深いエネルギーが行き場を無くして毒素となり、自分を攻撃して副腎を始めとする内分泌系も乱れ、免疫と臓器に膨大な混乱が出ている。そこに薬の副作用が複雑に絡み合う。

スキャンでも常々、エネルギーフィールドの免疫階層、生命代謝階層、メンタル階層に相当なエラーが出ている。

 

このカタチでエネルギーが安定すると、恨みの矛先は外へ向かう。例えば、

「周りの人が自分の思い通りに動いてくれない」

「周りの人が私を気にしてくれない」

 

顕在意識ではその自覚はなくても、無意識のパターンは浸透している。

あまりに当たり前になっている自分のOSには自分で気づきにくいのだ。

 

だから一生懸命、周りが変わるように教育するし、仕向けようとする。

思い通りにうまくいかないときは「変わってくれない」と愚痴をこぼす。

 

実は「変わってくれない」のは自分の視点。

 

ほんとに変えたらいいのは周りじゃなくて、

思い通りにならない人生を、自分自身が裁判官のように罰していることに気づき、自分の中の裁判官を抱きしめて許すことなんだ。。。。

 

そのとき初めて、変わらない周りを許せて、自分で自分を苦しめていたパターンを手放せる。

 

そして、ひとつ、自己治癒力の蓋が開き、自分のいのちが太くなる。

 

 

たとえ、肉体的に病気が治っていなくとも、その病気、そしてそれを持つ自分、その人生への見方、視点が全く違うところに行くから、人生の意味が変わってくる。

 

自分の本質、魂の気づきと癒しに出会えるか、だと思う。

 

治るか治らないかは、あんまり問題じゃない。

おまけみたいなもの。

 (あ、でもそれで治っちゃう人もいるから、いのちはすばらしい〜。)

 

 

 

普段、両方の母親にはNESやホリスティック療法はやっていません。

二人とも本人たちの意志で、完全アロパシー医学(現代医療)のみです。

 

ただ、今回はちょっと緊急だったもんで、こっそりNESで遠隔管理を少しやった。。。

なんか、やったほうがいい気がして。

(実母には遠隔をすることを伝えたけど、義母には無断でやってしまた。。。あかんよなあ。。。汗)

 

今回、母の脳梗塞時のスキャン結果にも、経絡系フィールドの大規模な断裂と鬱滞、全身に修正情報を送る心臓・血液フィールドのエラーが出ていたし。

 

でも本格的には、私からは勝手にはしない。

介入は最小限で。

 

 

じゃないと、きっと、体や心にでてくる反応に、誤解と混乱を与えるから。

特に熱が出たり、痛みが出たりすることが大嫌いな人は、

そういう体の反応が出ることを敵視する意識パターンがOSに入っているから、出ないように抑え込むことで、気持ちが安心するパターンを持ってる。

(でもそのパターンのカタチは治癒力の下がることで安定するカタチだ。)

 

解毒作用に納得していないのに、解毒反応を起こすことは不安が増え、逆にその人のエネルギーバランスを崩してしまいかねないと思ってる。

だから、ちゃんと伝えて納得してもらってからでないと。

信じていることに反することは、エゴにとってはとっても怖いことなのだ。

 

抑えて手放したくない形を保って生きることも、その人の奥が求める命のバランス。

顕在意識はいくら治りたい、と言っていても、変わらない自分、病気である自分を保つメリットが奥にはあるから。

そのあり方も尊重したいし。

 

 

手放すことを決意したら、自分が無意識に奥底に押し込めたものに出会うことになる。

 

出来事を外側のせいにできなくなる。

 

気づかないでおけば、自分の世界の出来事を外のせい、他人のせいにでき、「私がこうなったのは〇〇のせい」「世界がこうなのは〇〇をなんとかしなければ」と恨みと戦いのエネルギーパターンを持ち続けることができる。

 

 

本当は全ての人が全ての面を持っている。

相手が持っているように見える質は自分も持っている。

「私には〇〇のような面はない」の意識のとき、〇〇があることを許さないパターンを自分に作る。

自分が持っていたらまずいもの、になる。

だから無意識層に押し込めて切り離す。

それがあると感じることを自分に許さなくなる。

 

そしてほんとは自分も持っているのに抑圧して切り離してしまった〇〇な面は、相手に投影されて、相手が持っているように錯覚して見えるのだ。

悪いのは相手、外の世界、になる。

 

相手の嫌な〇〇な面は、実は自分が抑圧している、自分の一面なんだ。

だから、〇〇な感覚を味わってみると、ちゃーんと自分も持ってることがわかる。

自分にある〇〇な感覚を味わって抱きしめる。

味わう、は許し。

そうやって、分離していた自分、が、すべてだった存在に戻っていく統合が進んでいく。

 

 

本当は「足りてない自分」なんかいない。

自分の中に無限の泉の入り口があるんだ。

その泉に蓋をする限り、自分の命の軸と手綱を外に置かなきゃなんない。

今、ここの瞬間が空っぽのまま、いつでも過去の後悔と恨みと、未来への心配の中に生きる。

そして、今にしか使えない生命エネルギーをひたすら、「過去の後悔と恨みと、未来への心配」によって成り立つ生命バランスの心身パターン、その周波数帯のあり方、その見え方の世界で生き続ける。

 

だから、「私にそういう部分はない、自分がみたくない、と実は押し込めたもの」は、泉が湧き出すための変容へのとてつもない宝箱の鍵だ。

 

自分の人生、命は、自分にはどうにもできない、周りや権威がよくしてくれるもの、治してくれるもの、という視点から、自分のハートが手綱を握っているんだ、と気づけること。。。

 

  * * * 

 

自分の本質からずれたエネルギーの形で生きざるを得なかった、今まで持ち続けている抑圧した思い込みから作られているエネルギーの形。

 

でも「思い込み」はそうすることでずーーーっと自分を守ってきた「愛情」なんだ。。。

 

そうやって、ずれたエネルギーの形を守ることでしか自分を守れない、と思い込んで守り抜くことに必死だった「自分への愛情」。

 

それが、病気の正体なのかもしれない。

 

うん、そうだ、病気は、自分が留まりたい形のエネルギーを実現してくれる為に、自分の身体が創り出してくれてる愛情だよ。

自分の一部だよ。

そのバランスでないと生きていかれない、と思っていることを、そのまま実現させてくれてる、命からの愛情だよ。

病気は敵なんかじゃない。

 

そのバランスを保つことが自分にとってメリットだと、この世界を生き抜くためにはそれが最上の在り方だと、自我の奥深くが信じているから、その自分のバランスで生きることを実現させてくれる、自分自身の命からの愛情表現。

 

病気は戦う相手じゃない。

自分の欲しいバランスを実現させてくれている自分の一部。

自分自身にその愛情に気づいて受け止めてもらえたら。

きっとそのエネルギーは変化する。

病気という状態にしてバランスをとる細胞の役目から、本来の細胞の役目へと、細胞といのちの設計図が解放されることができる。

 

そのステージでの世界への投影で自分で創り出している現実を、元の本質の命が流れたい形に戻していく作業。

そのエラーを作っている、生きる上での世界と命に対しての思い込みをどれだけ安全に解放していけるか。

 

 

 私は何を母に伝えたいのだろう?と思いながら書いてみた。

、、、めっちゃ長ったらしいな。。。。笑

 

でも、セラピーに入るには、本人の意志が湧いてからでないと、と感じていて、それはたとえ身内であっても、強制や強要はしない。

 

命のエネルギーにはあり方を自分で選択する自由と意志があるから。

 

自分に流れるエネルギーを自ら使っていくのが基本だし、やらされてる時は依存マインドで自分の中でのマインドセットが入ってないから、結局なーーーんにも変わらないのよね。

 

とはいえ、二人の母にもっと伝える、ということはそろそろしていく時期になってきている気はします。。。。

もう少し伝わりやすい形にしてみたらいいのかなあ。

 

伝える、というテーマ、母たち宛に限らず、私の恐怖ビリーフが投影されてる価値観で、いつでも見て見ぬ振りしてきているテーマなんだよなあ。

これは私自身のビリーフの「交換」「変換」(肺と肝臓テーマ)に関わっているわけで。

あーあ、苦笑。

 

 

まず土台を作っていくところから。

 

伝わるのかな。。。。

 

もし、本当にやる時は、そういう流れがくるだろう。