LIFE LOG

日々のこと、ガン治療、NES、TimeWaver ....いろいろなことをつづります

『アリス・ベイリー入門』のメモ 2

 

『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』(土方三羊 著)からの備忘録つづき。

直観について。(直感ではなく)

ノンデュアリティの人たちの言っていることにも少し似ているのかなあ。。いや、ちょっと違うかもな。。。と、あくまで、私の主観で感じた部分を勝手にメモ。

 

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P83  L1

ブッディとは直観、つまりマインドによる理論的な推測や理由付けを超えた意識状態である。

(略)

 

直観は魂へと強く方向づけられたパーソナリティとグループ意識を持つ魂との相互作用から生まれる。

直観とは、普遍性の原理を包括的に把握することである。

直観が作用しているとき、ほんのしばらくの間であれ、分離感覚は完全に失われる。

その最高点においてそれは普遍的な愛として知られる。

それは感傷や情愛深い反応とは関係なく、すべての存在との一体性の性質を帯びている。

直観とは光そのものである。

直観が作用している時、世界は光のように見え、すべての形態がもつ光の体が徐々に明らかになる。

それはすべての形態のなかにある光の中心と接触する能力をもたらし、本質的な関係が確立され、優越感と分離感は背後に退く。(『グラマー』より)

 

 

 

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か

 

 

 

『アリス・ベイリー入門』のメモ 1

 

最近、『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』(土方三羊 著)を読み始めました。

 

引き出しの奥に突っ込んだまんまの『秘教治療』を、もう一度ページを開くための準備体操です。。。笑

 

読みながらメモしておきたい部分を、備忘録として残しています。

 

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P33  L4

結局は、自分自身がどのように反応するかにかかっているのであろう。

そして、私たちがどのように反応するかは、私たちがどのレベルに意識を焦点化させているかによって決まるのである。

(略)

どれだけ高度な教えであっても、それを人間にとって意味のある言葉に変換するプロセスによってその純度は低下することになり、それを読む人々のレベルでそれを解釈することが可能になるからである。

 

このことは、キリストや仏陀が世界に与えた偉大な教えを偏見に満ちたマインドで解釈し、宗教的なドグマへと結晶化させてきた聖職者たちの歴史が立証している。

 

しかし、そのような解釈によって教えをいかに巧妙にねじまげても、それはその人がもっている不完全なアイディアをその教えに投影して歪曲しているため、人々の意識が進化するにしたがって多くの矛盾点を露呈することは避けられない。

(略)

 

批判、それは意識が分離した自我に集中していることを示し、マインドが限定されていることを示すものである。

 

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P40 L15

ある観念をアカデミックに考察し、一つの体系として系統立てるのに成功した時、その人のマインドはその体系に占領され、それを非の打ちどころのない真理と見なすようになる傾向がある。

そして、それに少しでも矛盾する点があるものはすべて偽りであると判断する。

このような傾向はメンタルタイプの人々にしばしみられるものであるが、一つの体系は次なる新しい体系を築くための基礎、もしくは一時的な足場でしかないことを忘れるべきではない。

 

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P77 L5

私たちは常に何かを考えている。

しかし、それら全てを知的活動と考えてよいのだろうか。

私たちは本当の意味で思考しているだろうか。

実際には思考と考えているものの多くは、厳密に言えば、思考ではなく、何らかの想念に対するアストラル的な、つまり情緒的な反応でしかない。

 

実際、私たちが口にする意見のほとんどは思考の結果として生まれたものでも、思考活動によって正しいと判断したものでもない。

 

それはおそらく、周囲の大半の人々がそう思っているからという理由から正しいと信じ込んだものであるかもしれないし、その逆かもしれないーーーつまり、周囲の人々と同じではありたくないという感情的な反発心から少数の反対意見に賛同しているだけかもしれない。

また、パワーに満ち雄弁に語る指導者に影響され、その指導者の思想をそのまま自分の思想として受け入れている人々の多くは、実際には思考しているとは言えず、その指導者への情緒的な憧れがその思想を受け入れさせているだけである場合が多いようである。

 

このような反応にメンタル体は多少なりとも関与しているであろうが、それはメンタル体本来の活動ではなく、感情が知性を操っていると言ってよいものである。

本来感情をコントロールすべき知性が、感情によってコントロールされているというのが現実である。

感情にとって都合がよいこと、そうであってほしいと信じていることの正当性を立証するために、知性が利用されているのである。

 

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めっちゃ大事だなあ〜〜〜〜。

 

つねに気づいていたいところ。

 

、、といいつつ、いろんなもんに飲み込まれている日々(^^)

 

  

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か

 

 

コシラエル展 @スパイラル

 

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たまたま入ったら

なんてステキな〜!


すんごい気持ちがうきうきしてくる。

こりゃスキップ踏んじゃうでしょ。


わたし日傘ささないからなぁ。

買っても絶対ささないからなぁ、

展示で楽しもう(笑)

 

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ところで傘って、いい形してるんだねぇ。

 

EFT & マトリックスリインプリティング 3回目

 

先日、EFT & マトリックスリインプリティングの3回目を受けてきたので、覚え書きです。

 

今回は、なんだか大きな回だったように思う。

 

前回までは、風呂敷にいろーんなものを広がるがままに広げて広げて、吐き出して、みたいなことを自分自身したい気分で、そのままなんでもかんでも吐き出してみていた。

 

今回は、そこを経て出てくるものに委ねよう、という感覚で向き合いました。

 

 

自分の中にあるイメージなどを伝えながら、タッピングをしてもらいながら、テーマの階段を一段、一段、深く降りていく途中、突然ぐわーーーーーーっっっと「苦しい、苦しい」という感情が、ぐにょっとした赤黒い尾をひいた塊となって、自分の中を勢いよくうねって上ってきた。

 

 

そのどろっとした塊が去ったあとも、いろんなイメージが浮かび、

イメージからイメージへ、一歩ずつ深く入ってゆく。

 

 

最後に出てきたのは、

 

かっすかすに水分がなくなって、枯れ果てて、粉のようにポロポロと風化していく死のイメージ。

 

 

「どうしてあげたいですか?」というセラピストさんの声。

 

 

 

そしたら、勝手にイメージの中で、風化した粉に水が混ざり、逆再生イメージが始まった。

 

 

だんだんと脇には水が出現し、湧き水となって流れを作り、さらさらと全てを潤す。

 

 

澄み切った、きれいなきれいな、透き通った水。

 

温度も感じられるようだった。

 

 

くぼみがあればくぼみの形に沿うし、

 

液体から霧にも雪にも変化する。

 

自由にまわる全て。

 

 

どこにでもいつでも満たしている、

 

自由にまわる全て。

 

 

 

 

しばらくそこに浸りきった。

 

その感覚を感じ切った。

 

 

 

 

 

 

終わってから、ぼーぜん。

 

めちゃくちゃ体力も使っていたようで、へとへと。

 

 

 

たぶん、深い場所でひとつ大きな作業をしたのだと思う。

 

 

 

 

勝手に出てきたこのイメージは、シンボルとして、あるインスピレーションを伝えてくれた。

 

 

ある状態を、イメージの中で「死」として固定して持ち続けていたこと。

 

そこを現実として、リアルとして感じて捉えて、生きていること。

 

それが苦しみの奥にあったこと。

 

 

出てきた水のイメージは、それを変換してRe-born=再生のイメージでもあったし、永遠の循環でもあったし、私にとっての生きるそのもの。そのままであるということ。

 

 

そして、そもそも全ては移りゆく、って意味も知らせてくれた。

 

 

状態は、状態でしかない。

 

それをひとつの固定イメージ、たとえば「死」とか、に、固定しなくていい。

 

 

こちらから出てくるイメージと、そこからその次の行き先、エネルギーのベクトルを、ちょん、とセラピストさんに支えてもらい、またマトリックスが展開する、ほんとにジャズセッションという感じでサポートしてもらった。

 

 

 

 

数日経ってみて、すでに変化の芽は出ているのを感じられる。

 

まず感じているのは、内側の何かが軽くなっている体感があること。

なんだろう? こだわって奥の方で息を詰めていた、重苦しい何かがいなくなっている気がする。

 

 

心の内側でのありようもそうだし、身辺でも現実が動きそうな気配。

 

エネルギーが大きく動くと、次に現実に落とし込まれて流れが動く感じ、まさにそれが来ている気配。

 

 

春だしね。楽しみだな。

 

 

 

ちなみに、お世話になったセラピストさんは、

EFTマトリックスインプリンティングを専門にしていらっしゃる湯浅和花さんです。

 

サイトはこちら

 

チャーミングな雰囲気の方で、初対面でもリラックスしてお話できたし、

セッション中はニュートラルな立ち位置がぶれないので、安心して受けられました。

 

 

 

NESもそうだけど、こういうエネルギーにアクセスして自分の変化をサポートしていくセラピーって、まず3回は受けてみないと大きな実感が得づらいだろうな、と思います。

 

もちろん、1回でぐっとくる場合もあるけど、より深い階層にたどり着いていくのは、まず順番に浅い階層の土台をしっかりさせてからじゃないと、結局あとの伸びしろが出てきづらいことも多い。

 

NESにしろ、EFTにしろ受けたら、エネルギー場は100%確実に反応して、動き始めているから。

 

肉体、現象界に現れてくるのはその調整のあとだから、

セッション1回目では、体感レベルでよくわからないことも多い。

(私もよくあるんです)

 

 

その大きな流れへの信頼を自分で持てること、

 

セラピスト視点からいくと、クライアントさんに持ってもらえること、

 

 

自分自身がセラピスト側の時も、伝えられているか悩ましかったりもするけれど、

ま、全ては必要なことがなるようになっているから、ま、いっか(笑)

 

 

ボルタンスキー展 @庭園美術館

「好きなんじゃない?」と旦那にオススメされて、

庭園美術館でやっている​ボルタンスキー展に行ってきました。

 

途中、広尾のcity bakeryでランチ。

ここのパンはほんとうにおいしいなぁ。

たべものを食べている気持ちになる。

こじんまりしていて、そっけなくて、居心地が良くて、

ほんと、近所にあればいいのに。

 

 

とにかく、庭園美術館は空間が気持ちよくて、ついつい長居しちゃいます。

 

IMG_9200.JPG

 

 

 

どこからか、空間から声が聞こえてくる。

 

ニュートラルな声。

作り手側からはそこに極力感情的意味を与えないようにしているかのような、

注意深く発せられているようなささやき。

 

ほかの展示では、紙やブリキで作られたオブジェクトが暗室に置かれ、

光が当てられ、影絵のようにイメージがあらわされていたり。

 

 

ニュートラルな声は、聞いた人が自分の中で、

自分の過去からの意味づけや、常識と思っているフィルターからの反応で、

それぞれ意味を見出すんだろうな、と思える作品だった。

 

その声は能面を思い出させた。

作り手を極限まで抑えて作られている能面。

 

そこからどう意味を取り出すか、

勝手に感じるかは、演者や鑑賞者のその時によって変わってくる。

 

その取り出したイメージの積み重ねを人は人生だと思っているんだろう。

 

影絵の作品も、そこに光が当たる事で=イメージの概念が生まれ、

闇のイメージも自分の中に作られる。

 

光が強ければ闇も強い。

それはただイメージが相関している現象。

 

物質としてそこにあるのは日常的な素材。

 

それが存在する環境から生み出されて相関したイメージ(つまり幻想)を、

人生の実存として取り込んで、そこに同一化して、

それを人生として生きて死んでいくんだなぁ、とふと思った。

 

思いのイキモノ。

 

自分はどんなイメージを現実として、現実と思って生きているだろうか?

 

それとも剥き出しの素材に目を開いてみるのもアリか?

 

とか、いろいろ思い巡らされる展示でした。

なかなか楽しかった。

 

 

ボルタンスキー展示と朝香宮邸室内展が、同じ展示空間で並行開催中で、

なんというか、同じ場所でいろんなチャンネルが変わるので、

自分の中の感覚がいろんな時空間をあっちこっちに引っ張りまわされて、

変な感じのボリュームだった気がする。。。

 

 

いのちとして素直に在る、こと

 

友達とカフェでいろんな近況報告。

 

内側の整列をお互いサポートしているような

ほんとうにくつろいだ時間。

 

 

いのちとして素直に在る、ということについて、

あれやこれやと盛り上がる。

 

注意深く、自然であること、

場も含めて、存在すべてへの繊細さ、

そうして、不自然で在ることへ気づけること、

 

ふるふるとした、剥き出しのナマのいのちとして、

その小さな声を注意深くすくいあげること。

 

今のエッジを認識し、その上でまたそれすらもプロセスとして俯瞰した状態について。

正直に素直に、在る、のを自分自身許す、サレンダーについて、、、

 

抑え込んだ自分の自然でありたい欲求が発露を求めた先に、

昏睡となることを「無意識が出口としてつかみとる」いのちのもがきについて。

その切実さ、、、etcetc

 

 

 

外を追い求めているとき、在ること、は恐ろしく感じられる。

 

ここにあるいのちそのものでいられず、何か、になろうとする時、

観ることができない時、

その奥に必ず持っている、今のままではダメだという深い恐怖。

 

だから、その小さな声に聞こえないふりをするのはとても簡単だ。

思考はいくらでも理由をひねり出す。

 

 

 

ほんとうは何を感じているの?

 

 

それを感じることが怖いの?

 

 

どうして?

 

 

 

そこに自分自身赦しが起きたとき、それは、在る、にふたたび還る赦し。

子供の頃はそのものだった、在る。

 

 

 

話をしあっていて、奥のrealに触れたような時、

彼女はいつも場が、時空が変わる、という。

 

今日もそんな瞬間があった。

私まで背中がしゅばーっと一瞬熱く気が通ったような感じ。

 

あ、魂的コレクトな何かに触れているんだな、と感じる。

 

 

 

ところで、その時、

近くの席にはテレビで見かける芸人さんがいらした。

 

「オレ、大学時代から真っ赤な服着てるんすよー」と番組で話していたのを前に観たことがあったのだけど、

本当に、そのままで、

さらに、その座っているたたずまい、くつろぎがすごく自然で。

なんとなく「ああ、この人は自分そのままの在りようなのかもな」とふと感じた。

 

それまで友人と話していた内容にもリンクするたたずまいだったので、

妙に印象に残った。

(真っ赤だったしね 笑)

 

 

 

その人がその命として、偽りなく、ただそのまま生命としてあるだけで、

そこに触れた人は勝手に必要な何かをうけとり、何かを感じ、勝手に癒される。

 

 

それぞれの人は、ほんとうに、何者かにならなくていいのだ。

 

外から認められる価値のある「何か」になろうとしなくていいのだ。

 

しいて言えば、注意深く、「自分」そのもので在ることに注ぎ込むだけでいいのだ。

 

在る、に触れたら、それが必要な人はオセロのように変わっていくから、

 

周りを癒そうとする必要もないんだね。

 

 

 

内側の流れ、風向きが変化した感覚。

 

 

小さな声。

 

とてもとても、小さな声。

 

 

注意深く静かに、耳をそばだててみる。。。

 

 

つながり

 

セッションでは、自分自身の内面でフォーカスしたいことをあらかじめ考えてきてもらってスキャンをしています。

 

フォーカス無しでスキャンすることもあるけれど、

気持ちのフォーカスをすると、よりその人自身の中にある答えが画面上に現れていきます。

 

量子の世界では、「観測」されるまで、全ての状態が「可能性」として多次元に重なりあった状態で存在していて、人間の意識がある特定の方向性に向く=「観測すること」によって、初めて量子が存在エネルギーとして、無数の可能性の中からひとつの状態を確定させる、と言われています。

 

スキャンに向けて気持ちのフォーカスをする、というのが、この「観測すること」とも言えるのですね。

無数の可能性の中からひとつの方向性を意図して、そのルートから全体を観ていく、というかんじです。

 

意識が向いた方向性、つまり、スキャン時にイメージした状態をひとつのゴールとするなら、それに対して、いま「ここの部分の流れが引っかかっているみたいよ」というのが、よりくっきりとした雑味のない状態で画面に出てくるので、その方があとの気づきが深まりやすい気がします。

 

 

一方で、意図を入れず、ただニュートラルに取ったスキャンが、全方向への可能性のための全体の底上げのためのスキャン、とも言えるのかな?と考えています。

これはこれで悪くはなく、おもしろいスキャンになるのだけれど。

自分の全て、全体を俯瞰するような感じ。

でも出方が広大なので、気づきのひっかかりポイントを拾いづらい場合もある。

 

セラピーとしては、ひとつのテーマにフォーカスしていった方が結局は、そのフォーカスをとっかかりとして、自分の中にある深いテーマにつながりやすいな、と感じます。

 

 

 

最近、セッションの中で、神経の流れしかり、リンパ系、体液的な流れしかり、

この辺のことについて、ある種の鬱滞、という情報がテーマとして見えてくることで、いろいろなつながりについて感じることが多かったです。

 

特に神経は、外界をどういう風にとらえて内面に伝え、行動を指示をするか、という役割。

 

自分や、周りの世界をどう認識するか、のフィルターに関わっていそうだし、

そのフィルターが元で、動きたい方向にエネルギーも行動も流れていかない、っていうこともあるだろうな。

 

それの土台として、交感神経・副交感神経など、肉体レベルでの自律神経を整えるのも、改めてものすごくパワフルだ。

 

 

 

物質も目に見えないエネルギーと言われる部分も、すべてエネルギーとして、相似としてフラクタルにリンクしている。

 

いろいろ循環している存在の''自分''として、スキャン時にイメージした周波数状態に近づいていくには、まず一番密度の重い肉体レベルでのさまざまな流れをスムーズにつなげていくこと、、、肉体の密度はパワフルだもんね。

 

肉体に最終的に現れてくる前に、エネルギー場にはさまざまな情報がすでにあるので、そこへのアプローチをとっていくのがエネルギーセラピーだけど、逆に肉体レベルをないがしろにして、もっと微細なエネルギーレベルで何かをどうにかしようとしても、場合によっては効率的ではない順番だったり、できないことはないけれどかえって本人にとってしんどいルートだったり。

 

 

そこへの気づきと行動が促される画面。

 

 

私自身、改めてああ、そうだな〜と再認識。

 

セッションをさせていただく中で、クライアントさんのスキャンから私の方が気づきをもらうこともとても多く、深いレベルでは全ては量子としてつながりあっているのだから、そうかとも納得するけれど、気になっていたキーワード、その時の自分に響くタイミングだったりすると、しみじみありがたいことです。

 

 

出会いやできごとは、その時のお互いにとって、鏡としてさまざまなメッセージを見せてくれる。

私自身なかなか気づかない(受け取らない)ことも普通に多いけれど。

ま、それが人間をやって試行錯誤をする意味なのかな。

 

そして、どう受け取るかも、それぞれが選択したフィルターで毎瞬自由に創造していて、本当はそれが自由ってことで、常に全ての人が手にして日々使っているのかなぁ、と思う。

 

 

リフレッシュ

気がついたらずいぶん冬っぽくなってきた。

日差しも透き通ってきたなぁ。

 

太陽の光って気持ちいい。

思い切り日光の方を向いて、背伸びして、深呼吸。

 

最近は日光に飢えていて、

ひとつぶ残らず全身で日光を吸収したい気分だ。

 

ひまわりってこういう気分なのかなあ?!?!

 

 

 

この秋は、マンションが大規模修繕をしていたので、

ずーっと窓の外側が足場と黒い遮蔽ネットで覆われていて。

 

外壁塗装や全戸ベランダ解体などもあったから、

音や粉塵もすごくて、常に漂う溶剤臭になかなか換気もできず、窓は常に締め切っていた。

 

さらに作業の方も外の足場を行き来するので、2ヶ月間カーテンも閉じたままでした。

 

そろそろ作業も終盤になってきたようです。

連日のおかげで外はきれいに修繕され、

ついに足場と遮蔽幕が外されました。

 

 

 

いやーーーーー、窓とカーテンの開けられる開放感よ!!!

 

 

ばんざーーーーーーーーーい!!!!!!!

 

 

部屋に風が入る!!!!!!!

 

 

換気欲爆発!!!!!!

 

 

なんとなく漂っていた淀みが一気に消え去った気分!!!!!

 

 

空気〜〜〜〜〜!!!!!

 

 

 

 

やっぱり、風と光だいじだ〜。

 

この2ヶ月、少なからず自分自身なんとなく影響を受けていた気がする。

 

 

自分がいちばんだいじにしている部屋の状態って、

ダイレクトに自分の状態にリンクするなあ。

 

 

そうそう、なーんとなく気持ちが淀む時って、

私の場合、家の中の水回り、キッチンとか、トイレとか、お風呂場、洗面所 etcあたりが、

掃除をさぼってどんよりした雰囲気になっていることも多い。

えいやっと掃除をすると、何か内外の循環が変わる感じがする。

 

とはいえ、

上がる気分、下がる気分、どっちも単にバイオリズムだし、

だらだら淀みたい時は淀むに任せることもある。

そのうち淀むのに飽きてきて、

内側から動きたい、が出てくるし。

 

 

人間と同じように建物も内外メンテナンスが必要だし、

建物にとって必要なプロセス期だったわけで。

マンションもリフレッシュ、

私もリフレッシュ。

 

って気分。

 

 

 

風邪の効用

11月は風邪もひいていた。

 

11/4につかまえちゃった。

 

日付を覚えているのは、

その日カフェで目の前で咳き込んでいる人がいて、

「ああ、目の前で、、、、」と、ちょっとなよなよっと気持ちが反応したら

スルッと風邪に共鳴してしまったのか、喉が痛くなってしまった実感が。。。。

 

 

今回は、喉・鼻 風邪でした。

 

でも風邪を引いたときは、この名著を読み返すいいタイミング!と。

 

野口晴哉著『風邪の効用』

 

 

 

 

 

「風邪は治すべきものではなく、経過するもの。偏りの起きた心身の弾力性を回復させようとする、身体の内なる働きが風邪。その身体にとって必要な自然な経過をたどらせれば、さっぱりとした弾力性を取り戻す。」

 

 

風邪の役割を記したことばがしみじみ、ああ、そうだよね、と染み入る。

 

まさにこの本が風邪薬です。

 

 

喉鼻の自分の症状に当てはまりそうなところを見てみると、

 

まさに「前屈体癖の人の風邪」。

 

 

「身体が前屈してしまう元は腰椎一番といって、(中略)この腰椎一番の動きが悪い、ここが弱い体の構造のために前屈してしまう。そういう癖がある人は胸椎五番がいつも鈍くなり、鼻から風邪を引いてくる。……」

 

 

思い当たることがアリアリです。

 

 

 

ところで、風邪のさなかNESのスキャンもしてみました。

 

今修正するポイントだよ、と赤で出たところは

yuko-bando-2016-11-09-02-BFA.png

 

 

・BFA

→エネルギーのドア閉じてる。

 今回の場合、原因は電磁波

 

・PL

→流れが乱されている。

 今回の場合、原因は電磁波

 

・夜のサイクル

→きちんと睡眠サイクル整えるのがオススメ。

 うまくエネルギーが充電できていない。

 

・(別ページで)ブルーライト

→画面見過ぎ。自律神経の変調

 

 

笑えるくらい、土台となるカテゴリーが真っ赤っかでっす。

 

これももう、思い当たることがアリアリで。。。。。 笑

 

 

風邪をひく前の時期、

ちょっとPCやスマホを夜中までずっと長時間いじりすぎてました。

 

それはもちろん前屈姿勢。

 

 

ちゃんと(?)エネルギー場の免疫にも反映されてました。

 

こりゃあ、今回のタイプの風邪に自分からすり寄っていったようなもんだ。

 

 

 

この出方は自分でも恥ずかしいくらい思い当たるので、

エネルギー調整レメディは飲みません。

 

エネルギー整えるうんぬんより、

表示されてる睡眠サイクル、電磁波、ブルーライトな生活習慣を見直す方がだいじ〜!

 

、、、、ということで、

必要な時以外は、PC、スマホを使わず、

ぐだぐだしていた生活リズムをビシッと整え、

安静にして休む!

 

 

、、、、こうやって書くと、基本のことだなぁ。笑

 

 

 

おかげさまで今はもうピンピンとこざっぱり復活しています。

 

 

ふだんの生活のひとつひとつのリズム、やっぱり大事だね。

 

 

 

リバレーター、再び(3)&EFT

感情の大解放をしたり、風邪をひいたり、

めくるめくな11月を過ごしています。

さて、

何から書こうかな。

 

 

潜在意識を揺さぶる、せっかくのリバレーター期、

このタイミングで、ずっと気になっていたEFTマトリックスインプリンティングのセッションを受けてみようと予約。

(これらのセラピーについて詳しくはこちらを)

 

完全なカウンセリングタイプのセッションを受けに行くのは初めてなので、ちょっと緊張もしつつ。

 

 

私の中での感覚の浮き上がりに呼応するように、身体のあちこちのポイントを言葉に合わせてタッピング。

 

 

けっこうジャブのように、いろんな感情が浮き上がったり、思い出したりして、

その場でもいろいろ解放しました。

 

 

帰宅してから、そのままのゆらゆらした状態で内観していたら、

ハッとする気づきがあった。

 

 

自己否定的な気持ちになることについて、

そうならない自分を中心に据えたい気持ちもあり、探求して生きていたんだけど、

それがそもそも、ぜんっぜんコアビリーフの為せる単なるパターンだったということに気づいた。

 

何をするかは、どう生きるかは全く問題じゃなかった。

 

 

私の強い潜在ビリーフは、

「どんなところ、状況にいても何をしていても」ダメだと思ってしまう、ことだった。。。

 

そのビリーフは、それを強化する出来事に過剰に反応するフィルターを自分に被せて、

「ほら、やっぱりダメなんだ」という思いに力を与えていた。。。

 

その捉えパターンで、何をやっていようとも、「今」にダメ出しをすることに気づいた。

 

そこに「逆説的に」安息を得て、コアビリーフを守っている。

そのビリーフに守られていたら身動きをしないで済む。

「うまくやれないから怖いの」のパターンで、実は必死に守っていたもの。

 

 

これ。。。。

 

バンッ!!!!!!

 

って弾けた感覚。。。。。

 

あーーーーーー!!!!

 

って感じ。。。。。

 

 

 

私にとって、めちゃくちゃ大きな気づきだった。。。

 

NESのスキャンで、リバレーター(潜在意識)カテゴリーで表示されたコアビリーフ、

「ありのままの私は不十分」は、

まさに、ループの信念で自分自身を一生懸命守っていたのだな。

 

 

 

これは本当に大きなできごとだった。

 

自分で思い込んだ幻想だと気づいたら、もう手放していいのかもしれない。

 

守る理由がなくなってしまったから。。。。

 

 

 

 

、、、ここまででも十分な気づきなんだけど、、、、

 

やっぱり、マトリックスインプリンティングまで受けてみたいから、

このコアビリーフを形成する根っこを探ります。笑