つながり
セッションでは、自分自身の内面でフォーカスしたいことをあらかじめ考えてきてもらってスキャンをしています。
フォーカス無しでスキャンすることもあるけれど、
気持ちのフォーカスをすると、よりその人自身の中にある答えが画面上に現れていきます。
量子の世界では、「観測」されるまで、全ての状態が「可能性」として多次元に重なりあった状態で存在していて、人間の意識がある特定の方向性に向く=「観測すること」によって、初めて量子が存在エネルギーとして、無数の可能性の中からひとつの状態を確定させる、と言われています。
スキャンに向けて気持ちのフォーカスをする、というのが、この「観測すること」とも言えるのですね。
無数の可能性の中からひとつの方向性を意図して、そのルートから全体を観ていく、というかんじです。
意識が向いた方向性、つまり、スキャン時にイメージした状態をひとつのゴールとするなら、それに対して、いま「ここの部分の流れが引っかかっているみたいよ」というのが、よりくっきりとした雑味のない状態で画面に出てくるので、その方があとの気づきが深まりやすい気がします。
一方で、意図を入れず、ただニュートラルに取ったスキャンが、全方向への可能性のための全体の底上げのためのスキャン、とも言えるのかな?と考えています。
これはこれで悪くはなく、おもしろいスキャンになるのだけれど。
自分の全て、全体を俯瞰するような感じ。
でも出方が広大なので、気づきのひっかかりポイントを拾いづらい場合もある。
セラピーとしては、ひとつのテーマにフォーカスしていった方が結局は、そのフォーカスをとっかかりとして、自分の中にある深いテーマにつながりやすいな、と感じます。
最近、セッションの中で、神経の流れしかり、リンパ系、体液的な流れしかり、
この辺のことについて、ある種の鬱滞、という情報がテーマとして見えてくることで、いろいろなつながりについて感じることが多かったです。
特に神経は、外界をどういう風にとらえて内面に伝え、行動を指示をするか、という役割。
自分や、周りの世界をどう認識するか、のフィルターに関わっていそうだし、
そのフィルターが元で、動きたい方向にエネルギーも行動も流れていかない、っていうこともあるだろうな。
それの土台として、交感神経・副交感神経など、肉体レベルでの自律神経を整えるのも、改めてものすごくパワフルだ。
物質も目に見えないエネルギーと言われる部分も、すべてエネルギーとして、相似としてフラクタルにリンクしている。
いろいろ循環している存在の''自分''として、スキャン時にイメージした周波数状態に近づいていくには、まず一番密度の重い肉体レベルでのさまざまな流れをスムーズにつなげていくこと、、、肉体の密度はパワフルだもんね。
肉体に最終的に現れてくる前に、エネルギー場にはさまざまな情報がすでにあるので、そこへのアプローチをとっていくのがエネルギーセラピーだけど、逆に肉体レベルをないがしろにして、もっと微細なエネルギーレベルで何かをどうにかしようとしても、場合によっては効率的ではない順番だったり、できないことはないけれどかえって本人にとってしんどいルートだったり。
そこへの気づきと行動が促される画面。
私自身、改めてああ、そうだな〜と再認識。
セッションをさせていただく中で、クライアントさんのスキャンから私の方が気づきをもらうこともとても多く、深いレベルでは全ては量子としてつながりあっているのだから、そうかとも納得するけれど、気になっていたキーワード、その時の自分に響くタイミングだったりすると、しみじみありがたいことです。
出会いやできごとは、その時のお互いにとって、鏡としてさまざまなメッセージを見せてくれる。
私自身なかなか気づかない(受け取らない)ことも普通に多いけれど。
ま、それが人間をやって試行錯誤をする意味なのかな。
そして、どう受け取るかも、それぞれが選択したフィルターで毎瞬自由に創造していて、本当はそれが自由ってことで、常に全ての人が手にして日々使っているのかなぁ、と思う。