リバレーター、再び(1)
先日、NESの自己スキャン。
、、、あ、NESは、私がセラピーで使っているシステムで、
人のエネルギー(量子場)情報、つまり、「見えないからだ」の情報をスキャンして、
その人の心身のエネルギー場の、本来の流れと今の流れとの差に気づいていけるよう、
より楽ちんな、すこやかな心身の自己治癒力の流れ方に戻っていく手助けをしていくものです。
肉体はまったくスキャンせず、量子エネルギー場にしかアプローチしないけれど、
結果的に、身体や、意識、考え方、モノの捉え方、自分を取り巻く現象etcを
自分自身の手で変えていく「自分の根源」が発動し始めます。
いつでも、自分自身の全てを決めて、身体も心も状況も創り上げているのは周りではなく「自分自身」。
NESは、それに気づいて、自分で変化していくためのサポートセラピーです。
さて。
今回のスキャンではふと、フォーカス角度を前回までと変えてみました。
なんかその方がしっくりくる気がしたの。
視点の角度を変えてみる、というか。
今回は、「残された収縮したエネルギーがふわっとひろがった軽やかなイメージ」
そのスキャン結果による、今回のNESのキーポイントは、
ESR、ED 2、ED 15、EI 2、LIBの5領域。
で、出たよ、、、、。
リバレーター!!!!!!
、、、そして、、、ESR(顕在意識)とLIB(潜在意識)同時。笑
リバレーター(LIB)は、NESの開発者、故ピーター・フレーザー氏曰く「自身の最高傑作」だそうで、
潜在意識(ブレインホログラム)内の4つの全領域とつながる各エネルギーフィールドに、同時に働きかけていくもの。
めちゃくちゃパワフルで、ワクワクするボトルです。
今年の3月に一度リバレーターの出番が回ってきた時、
実際に、自分自身大きな変化と気づきが起きたターニングポイントになったのよね。。。
いつもは、3本での調整をしていくけれど、
今回はちょっと5本でがっつり取り組んでみようと思います。
スキャンで示されるボトルは、
「今、そこのレベルに取り組む準備ができているよ。全体が変化するために、その部分に取り組むと一番スムーズな場所だ、ってあなた自身が言っていますよ」の合図。
NESは、コンピューターがあなたはこうですよ、と指示をしてくるものではなく、
自分自身のエネルギー場に書いてあることをただただ、鏡のように映してみせるだけなのです。
「あなたは、こういうことだと本当は自分でわかっているらしいよ。思い出せる?」と。
全ての答えは自分の中にあって、もう持っている、ということ。。。
じゃあ、今月は潜在意識の旅に行っちゃおう! 笑
スキャン画面と出てきたボトルからざっくりと見てみるに、
1:ESR
顕在意識感情ストレス。
さらに一枚めくって、具体的な感情は「妬み・嫉妬」
2:ED 2
細胞が正しく活動していくために、どこにどう情報が流れ、エネルギーがながれていくかのフィールド。
明確な自己表現が得意でない様子。
3:ED 15
膵臓につながるフィールド。
優先順位の整理をつけること。
4:EI 2
心臓/肺経。
知性(頭)と感情・心(心臓)の間の葛藤→呼吸を抑圧
深い悲しみ
5:LIB
潜在意識・慢性ストレス
さらに一枚めくって、具体的な信念は、「ありのままの私は不十分」
おおっ!
きたよ、きたよ。
このスキャン結果の雰囲気は、私の原点のひとつを思い起こさせる。。。
どうにも自分の感情と向き合わないといけなくなった、10代後半〜20代、切羽詰まった中で手探りで始めた内観、自問自答。
この時から少しずつ、自分の思いを観察し、掘り下げ、手放し、というのを覚えて、
いろんな気づきの中で生きてきた気がします。
昔しまい込んだことをもう一度見つめてみよう、という気持ちがふと湧いてくる。
スキャンテーマにした「残された凝縮したエネルギーがふわっとひろがった軽やかなイメージ」の周波数帯な自分と、今の自分とのズレは、
「ありのままの私は不十分」という感情を塊として持ち運び続けさせている思い、は何か???、にヒントがあるよ。。。ということ。
私が今回イメージした凝縮したエネルギー、は自我のイメージ。
スキャン結果で出てきた結果は、まさに、
物心ついたころから、今に至るまで、強度の差はあるけれど、
「私」という人間の枠として、自分の自我の根底に流れ続ける、
ある種のパターン、ということが、一瞬であぶり出された。。。。
いやあ、、、、ほんとエネルギー場にごまかしは通用しない。。。笑
このパターンで作りあげた自分の枠で生きていくの、もうほんとは不自然だ、ってわかってるね、ってことだ。
根っこにある信念
「ありのままの私は不十分」
常に今手にしていない何かを求めていかないと満たされない、という刷り込み。
これ、自分自身で刷り込んでるのね。
この無意識の信念は、常により良い何かを求める、まだ自分が手にしていないより良い何かがこの先あるにちがいない、まだ今は不十分だ、まだ満足していない、という思い。
だから、社会的に生きていくには良いガソリンなのかもしれない。
そういう人も多いとおもう。
人によっては、それを仕事に投影していたり、金銭的なことだったり、家族関係だったり、友人だったり。
いろんなパターンあるよね、
私には◯◯が足りない、
これがうまくいけば幸せになるんじゃないか、という幻想。
何かが、何かが、、、
足りない、足りない
、、、etc
その根っこの信念の裏、潜在意識には、自己否定の感覚が染み込んでおり。
単なるありのままの表れの世界に、このフィルターを通して世界を、人を、出来事を、自分をジャッジして物語を作り上げながら、自分の感情反応、言うこと、行動が選択され、自分に表れてくる人生を作り上げてる。
それが顕在意識で感情ストレスとして現れる時、私の場合「羨み」になりやすいわけだ。
そうすればエネルギー的に分離と凝縮が強まる。。。
自分だけの見方の閉じられた世界の中で、
まるで自分が持っていないものを手にしているかのように見える
(実際は何も変わらない)他人を羨む視点に、
自分自身(の周波数)世界観が固定されて、その感情毒に心身がやられちゃうパターンがあるね、ということ。
ここ最近のことで胸に手を当ててみると、
「ああ、結局、あの時の自分の反応もつまりはそうであったなぁ」と浮かぶことがアリ。
いやあ、出てくるよ、確かに出てくる!
ただそういう反応をしていたね、ってだけだから、そんな自分をジャッジして意味付けする必要もなく。
でも、くつろいでいるように、自分に嘘をつきたくなったりもする。
それでもいい、今はそれでいい。
でも、ごまかし続けるのは、そのうちつらさがふえていく。
ごまかすのは、自分自身への本当の声への背徳。
さらなる分離。
不自然な状態は、なんだかもう保てない時代になってきている気がするね、とこないだ友人とも話していた。
体感でぎゅーっとしているか、ふんわりするかで、いま、自然か不自然なのかはなんとなく探れる。
ジャッジを入れず、自分の中の自然をさぐる。
湧いてきたら、行動に反映させる。
この繰り返し。。。
エネルギーの在りようは、この世の全ては、一つも分離して存在していない。
量子物理学で、そのことが証明されちゃった。
でも「凝縮した自己」という錯覚の感覚が、「世界」を作り上げる。
、、、とはいっても、私だって長年この凝縮の仕方?を自分だと同一視(つまり勘違い)しているから、なかなかこれは。笑
さて。
一応、4本で土台を先に整えて、リバレーターだけは2週間ずらしで後から投入しようと思う。
(何しろESRが出ているから、リバレーターを跳ね返しちゃっても困るし。笑)
今回のボトル期間、さてどう気づきが起きてくるか、どんな出来事が降りかかってくるか(笑)、とても楽しみです。
人体実験。ふふふふ。
今回は、めずらしく体感系で反応っぽさがさっそく出てきている。
エネルギー場の変化の現れが、現象の変化で出来事が降りかかってきて引っ張られていくパターンの多いわたしは、デトックス系が体感でくるのはめずらしい。
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※ 出来事、というのは、このレメディ達は、本来ここでしょ?という周波数帯に自分が整っていくための、視点と意識が変わっていくための、そのトリガーとなる出来事を、「ほーらよっ」とふっかけてくるのです。
ふっかける、って人聞きが悪いなあ。笑
でも、その時は気づいていなくても、あとで振り返った時に、全て腑に落ちていく。。。