ぐるぐる思考
一通のメールが来て、あることについての質問がひとつ、書いてある。
感情が今までのフィルターパターンで反応してしまい、防御思考がぐるぐると止まらなくなった。
考えていたら、しまいに嫌な感情がつのって、頭痛までしてきた。
あれこれぐつぐつ考え事が止まらなくて、眠りたいのに、考えが巡って寝られない。
起きていること、ありのままの現実は、今目の前にあることだけ。
ある一通のメールが来て、あることについての質問がひとつ、書いてあるだけ。
思考はそこから妄想に入り、
「過去こういうことをしてきた人だったからこうなるんじゃないか」
「ああ、嫌だ、なんで私がこんなことをしないといけないんだ」
「本当に困った人だ」
「こう出られたら困る、どうしよう、面倒なことになりそうだ」
などなど、
頭の中のぐるぐるおしゃべりが始まった。
もう一人冷静な自分が、
「あ、過去の恐怖と未来への不安からくる思考回路が止まらない」
と、片隅で思ってはいるのだけれど、
しばらく、恐怖と不安に支配された。
しばらく、暴れている感情を見ていたら、ちょっと落ち着いてきたようだった。
オーケー。
今、現実に起きていることは、部屋でパソコンを見ている。
お気に入りのマグカップでおいしいコーヒーを飲んでいる。
返答が必要なメールが1通ある。
恐怖と不安は、目の前の現実にはなく、自分の頭の中の妄想、慣れ親しんだ思い込みパターンでの反応でしかなくて。
じゃ、現実に集中してみようかな。
質問への返答をあっさり書く。
関係する人へ、念のための場合の確認をひとつしておく。
以上、終わり。
コーヒーがおいしいね。
現実はシンプルですな。。。
呼吸に集中し、「今」に集中する。
そのメールのあとどうなるかは、起きてきたらその時対処すればいいだけ。
目の前のありのままの今には、「メールが来た」の現実しかない。
その事実に、自分の脳内であれこれあれこれ物語を作って、自作自演して脳内上映しているだけだもんね。
あーじゃないか、こうじゃないかのぐるぐる思考は、現実ではない妄想。
ぎゅーーーっと凝縮して、密度が重くなったエネルギー。
そういった密度の重い感情エネルギーを、私たちは常に持ち運んでいるんだな。
その感情エネルギーを手放さずに後生大事に何年も、人生をかけて運び続けている。
自分の生命エネルギーは、その思い、感情を持ち続けることにずーっと費やされている。
本当は、その分のエネルギーは今の体、そして、現実の状況としての「今、この瞬間」を回すために訪れているもの。
やっぱそれって流れたいところに流れさせてあげないと、めっちゃもったいないわなぁ。
もう一度呼吸に意識を向けて、「今」に意識を向けてみる。
収縮したエネルギーをふわっ、っとひろげてゆく。
首や肩のコリを感じる。
上がっていた肩を発見する。
力が入っている肩を発見する。
顔の収縮を発見する。
ゆるめる。
もう一度呼吸をする。
「今」を再確認する。
地道に「今」に戻る作業を意識的にやる。
だんだん心がすとん、と落ち着きを取り戻す。
そうやって意識の視界がクリアになると、その意識波長、周波数に合うようになのか、物事が動いていく。
自分も動けるようになる。
今まで巻き込まれていたことに、巻き込まれない自分がいることに気づく。
人の意識は、本当にパワフルなエネルギーだなぁ。