LIFE LOG

日々のこと、ガン治療、NES、TimeWaver ....いろいろなことをつづります

ふたりの母の病気

 

 

 

めっちゃ久しぶりに書くなあ。

 

 

2018も、もう2月も後半になってる。

時間の流れが早い。

 

のんびり過ごしてはいるけど、

とにかく早い。

何もかもが早い。

 

そんな流れの中で、ふと、何か書いとこ、と思って開いた、けど、

まとめて順序立てて、何かを書くモードにはなってない。

これから怒涛の確定申告作業に入るから、その前のストレッチ気分です。笑

 

 

 

日々、今湧いてきてることに向き合っている。

振り返ると濃厚すぎる日々、だけど、

実は詳細はもうあまり覚えていない。

 

 

 

えーと、自分の人体実験としては、

 

年末から、ジェムセラピー(宝石周波数照射)のモニターを受けさせてもらっていた。

エネルギーに鈍感な私でもこりゃやばい!と感じるくらい、全身に流れ込んでくるエネルギーがパワフルで、相当なお掃除のサポートになっていたと思う。

めちゃくちゃありがたく、感謝感謝です。。。

 

 

流れで、同時にフラワーエッセンス。

 フラワーエッセンスもめちゃくちゃ振り回してきた。笑

いや、私が植物の本質をあらわすエネルギー、その、人間を凌駕する生命エネルギーの力強さについていかれず、ブンブン振り回されていた、というのが正しい。。。

 

 

年明けからは、今回は自己スキャンでのNES

出ているテーマは、「交換」「変換」。

臓器周波数でいうと肺と肝臓。

この肺と肝臓のもつテーマはなんかすごく似ている。

 

ED7 肺

・自分の考え、信念、自分を縛るものを手放すことへの抵抗

・古いものに固執して、一番欲しいものを得られない

・新しいものとの交換を受け入れない

「人生は自分の欲しいものを与えてくれない」

 

ED15 肝臓

・今までの価値観、考え、信念のパターンに自分が縛られ、新しい可能性、世界を別の見方で生きることに変化していかない。

・固まった信念、思考パターンから自由になれない

 

 

、、、、とんでもない時期だった。

めちゃくちゃ出来事は引っ張られてくるし、体当たりで自分の内側を見させられるし、体感としてはなかなかにしんどかった。

それと同時に、新しい出会いにあふれる。

必要な情報もどんどん洪水のように入ってくる。

 

濁流に溺れそうだった。

いや、実際溺れた〜。笑

わちゃわちゃしてマインドも揺さぶられる。

 

抜けてきた今、相当の内的変容を体験して、ひとつ大きなものが弾けた。

 

 

 

何を信じてる?

何に委ねている?

何に何を投影している?

 

気づくだけでいい

気づくだけでいい

気づくだけでいい

 

 

投影して幻想を生きていることを。

 

もう、その投影ストーリーはやめちゃっていいんだよ。

 

 

 

 

 

、、、そういえば、そんな中起きてきていたことのひとつ、

 

1月末に母親が脳梗塞で倒れた。

 

もともと膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)を30年患ってステロイドを摂取し続けているので、今回も副作用の延長だったようだ。

 

そして翌週、今度は義理母が入院する。

こちらはもともと10年来のリウマチからの、糖尿病発症。

免疫と代謝の力が低下している。

 

 

二人とも、自己破壊抑圧型の免疫疾患。

本当は感じることを許したかった感覚、怒り、悲しみ、要求、ショック、生命エネルギーを抑圧して、抑圧することが自分へも周りへも愛だと無意識に信じて、封じ込めて、その生命の深いエネルギーが行き場を無くして毒素となり、自分を攻撃して副腎を始めとする内分泌系も乱れ、免疫と臓器に膨大な混乱が出ている。そこに薬の副作用が複雑に絡み合う。

スキャンでも常々、エネルギーフィールドの免疫階層、生命代謝階層、メンタル階層に相当なエラーが出ている。

 

このカタチでエネルギーが安定すると、恨みの矛先は外へ向かう。例えば、

「周りの人が自分の思い通りに動いてくれない」

「周りの人が私を気にしてくれない」

 

顕在意識ではその自覚はなくても、無意識のパターンは浸透している。

あまりに当たり前になっている自分のOSには自分で気づきにくいのだ。

 

だから一生懸命、周りが変わるように教育するし、仕向けようとする。

思い通りにうまくいかないときは「変わってくれない」と愚痴をこぼす。

 

実は「変わってくれない」のは自分の視点。

 

ほんとに変えたらいいのは周りじゃなくて、

思い通りにならない人生を、自分自身が裁判官のように罰していることに気づき、自分の中の裁判官を抱きしめて許すことなんだ。。。。

 

そのとき初めて、変わらない周りを許せて、自分で自分を苦しめていたパターンを手放せる。

 

そして、ひとつ、自己治癒力の蓋が開き、自分のいのちが太くなる。

 

 

たとえ、肉体的に病気が治っていなくとも、その病気、そしてそれを持つ自分、その人生への見方、視点が全く違うところに行くから、人生の意味が変わってくる。

 

自分の本質、魂の気づきと癒しに出会えるか、だと思う。

 

治るか治らないかは、あんまり問題じゃない。

おまけみたいなもの。

 (あ、でもそれで治っちゃう人もいるから、いのちはすばらしい〜。)

 

 

 

普段、両方の母親にはNESやホリスティック療法はやっていません。

二人とも本人たちの意志で、完全アロパシー医学(現代医療)のみです。

 

ただ、今回はちょっと緊急だったもんで、こっそりNESで遠隔管理を少しやった。。。

なんか、やったほうがいい気がして。

(実母には遠隔をすることを伝えたけど、義母には無断でやってしまた。。。あかんよなあ。。。汗)

 

今回、母の脳梗塞時のスキャン結果にも、経絡系フィールドの大規模な断裂と鬱滞、全身に修正情報を送る心臓・血液フィールドのエラーが出ていたし。

 

でも本格的には、私からは勝手にはしない。

介入は最小限で。

 

 

じゃないと、きっと、体や心にでてくる反応に、誤解と混乱を与えるから。

特に熱が出たり、痛みが出たりすることが大嫌いな人は、

そういう体の反応が出ることを敵視する意識パターンがOSに入っているから、出ないように抑え込むことで、気持ちが安心するパターンを持ってる。

(でもそのパターンのカタチは治癒力の下がることで安定するカタチだ。)

 

解毒作用に納得していないのに、解毒反応を起こすことは不安が増え、逆にその人のエネルギーバランスを崩してしまいかねないと思ってる。

だから、ちゃんと伝えて納得してもらってからでないと。

信じていることに反することは、エゴにとってはとっても怖いことなのだ。

 

抑えて手放したくない形を保って生きることも、その人の奥が求める命のバランス。

顕在意識はいくら治りたい、と言っていても、変わらない自分、病気である自分を保つメリットが奥にはあるから。

そのあり方も尊重したいし。

 

 

手放すことを決意したら、自分が無意識に奥底に押し込めたものに出会うことになる。

 

出来事を外側のせいにできなくなる。

 

気づかないでおけば、自分の世界の出来事を外のせい、他人のせいにでき、「私がこうなったのは〇〇のせい」「世界がこうなのは〇〇をなんとかしなければ」と恨みと戦いのエネルギーパターンを持ち続けることができる。

 

 

本当は全ての人が全ての面を持っている。

相手が持っているように見える質は自分も持っている。

「私には〇〇のような面はない」の意識のとき、〇〇があることを許さないパターンを自分に作る。

自分が持っていたらまずいもの、になる。

だから無意識層に押し込めて切り離す。

それがあると感じることを自分に許さなくなる。

 

そしてほんとは自分も持っているのに抑圧して切り離してしまった〇〇な面は、相手に投影されて、相手が持っているように錯覚して見えるのだ。

悪いのは相手、外の世界、になる。

 

相手の嫌な〇〇な面は、実は自分が抑圧している、自分の一面なんだ。

だから、〇〇な感覚を味わってみると、ちゃーんと自分も持ってることがわかる。

自分にある〇〇な感覚を味わって抱きしめる。

味わう、は許し。

そうやって、分離していた自分、が、すべてだった存在に戻っていく統合が進んでいく。

 

 

本当は「足りてない自分」なんかいない。

自分の中に無限の泉の入り口があるんだ。

その泉に蓋をする限り、自分の命の軸と手綱を外に置かなきゃなんない。

今、ここの瞬間が空っぽのまま、いつでも過去の後悔と恨みと、未来への心配の中に生きる。

そして、今にしか使えない生命エネルギーをひたすら、「過去の後悔と恨みと、未来への心配」によって成り立つ生命バランスの心身パターン、その周波数帯のあり方、その見え方の世界で生き続ける。

 

だから、「私にそういう部分はない、自分がみたくない、と実は押し込めたもの」は、泉が湧き出すための変容へのとてつもない宝箱の鍵だ。

 

自分の人生、命は、自分にはどうにもできない、周りや権威がよくしてくれるもの、治してくれるもの、という視点から、自分のハートが手綱を握っているんだ、と気づけること。。。

 

  * * * 

 

自分の本質からずれたエネルギーの形で生きざるを得なかった、今まで持ち続けている抑圧した思い込みから作られているエネルギーの形。

 

でも「思い込み」はそうすることでずーーーっと自分を守ってきた「愛情」なんだ。。。

 

そうやって、ずれたエネルギーの形を守ることでしか自分を守れない、と思い込んで守り抜くことに必死だった「自分への愛情」。

 

それが、病気の正体なのかもしれない。

 

うん、そうだ、病気は、自分が留まりたい形のエネルギーを実現してくれる為に、自分の身体が創り出してくれてる愛情だよ。

自分の一部だよ。

そのバランスでないと生きていかれない、と思っていることを、そのまま実現させてくれてる、命からの愛情だよ。

病気は敵なんかじゃない。

 

そのバランスを保つことが自分にとってメリットだと、この世界を生き抜くためにはそれが最上の在り方だと、自我の奥深くが信じているから、その自分のバランスで生きることを実現させてくれる、自分自身の命からの愛情表現。

 

病気は戦う相手じゃない。

自分の欲しいバランスを実現させてくれている自分の一部。

自分自身にその愛情に気づいて受け止めてもらえたら。

きっとそのエネルギーは変化する。

病気という状態にしてバランスをとる細胞の役目から、本来の細胞の役目へと、細胞といのちの設計図が解放されることができる。

 

そのステージでの世界への投影で自分で創り出している現実を、元の本質の命が流れたい形に戻していく作業。

そのエラーを作っている、生きる上での世界と命に対しての思い込みをどれだけ安全に解放していけるか。

 

 

 私は何を母に伝えたいのだろう?と思いながら書いてみた。

、、、めっちゃ長ったらしいな。。。。笑

 

でも、セラピーに入るには、本人の意志が湧いてからでないと、と感じていて、それはたとえ身内であっても、強制や強要はしない。

 

命のエネルギーにはあり方を自分で選択する自由と意志があるから。

 

自分に流れるエネルギーを自ら使っていくのが基本だし、やらされてる時は依存マインドで自分の中でのマインドセットが入ってないから、結局なーーーんにも変わらないのよね。

 

とはいえ、二人の母にもっと伝える、ということはそろそろしていく時期になってきている気はします。。。。

もう少し伝わりやすい形にしてみたらいいのかなあ。

 

伝える、というテーマ、母たち宛に限らず、私の恐怖ビリーフが投影されてる価値観で、いつでも見て見ぬ振りしてきているテーマなんだよなあ。

これは私自身のビリーフの「交換」「変換」(肺と肝臓テーマ)に関わっているわけで。

あーあ、苦笑。

 

 

まず土台を作っていくところから。

 

伝わるのかな。。。。

 

もし、本当にやる時は、そういう流れがくるだろう。