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『アリス・ベイリー入門』のメモ 1

 

最近、『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』(土方三羊 著)を読み始めました。

 

引き出しの奥に突っ込んだまんまの『秘教治療』を、もう一度ページを開くための準備体操です。。。笑

 

読みながらメモしておきたい部分を、備忘録として残しています。

 

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P33  L4

結局は、自分自身がどのように反応するかにかかっているのであろう。

そして、私たちがどのように反応するかは、私たちがどのレベルに意識を焦点化させているかによって決まるのである。

(略)

どれだけ高度な教えであっても、それを人間にとって意味のある言葉に変換するプロセスによってその純度は低下することになり、それを読む人々のレベルでそれを解釈することが可能になるからである。

 

このことは、キリストや仏陀が世界に与えた偉大な教えを偏見に満ちたマインドで解釈し、宗教的なドグマへと結晶化させてきた聖職者たちの歴史が立証している。

 

しかし、そのような解釈によって教えをいかに巧妙にねじまげても、それはその人がもっている不完全なアイディアをその教えに投影して歪曲しているため、人々の意識が進化するにしたがって多くの矛盾点を露呈することは避けられない。

(略)

 

批判、それは意識が分離した自我に集中していることを示し、マインドが限定されていることを示すものである。

 

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P40 L15

ある観念をアカデミックに考察し、一つの体系として系統立てるのに成功した時、その人のマインドはその体系に占領され、それを非の打ちどころのない真理と見なすようになる傾向がある。

そして、それに少しでも矛盾する点があるものはすべて偽りであると判断する。

このような傾向はメンタルタイプの人々にしばしみられるものであるが、一つの体系は次なる新しい体系を築くための基礎、もしくは一時的な足場でしかないことを忘れるべきではない。

 

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P77 L5

私たちは常に何かを考えている。

しかし、それら全てを知的活動と考えてよいのだろうか。

私たちは本当の意味で思考しているだろうか。

実際には思考と考えているものの多くは、厳密に言えば、思考ではなく、何らかの想念に対するアストラル的な、つまり情緒的な反応でしかない。

 

実際、私たちが口にする意見のほとんどは思考の結果として生まれたものでも、思考活動によって正しいと判断したものでもない。

 

それはおそらく、周囲の大半の人々がそう思っているからという理由から正しいと信じ込んだものであるかもしれないし、その逆かもしれないーーーつまり、周囲の人々と同じではありたくないという感情的な反発心から少数の反対意見に賛同しているだけかもしれない。

また、パワーに満ち雄弁に語る指導者に影響され、その指導者の思想をそのまま自分の思想として受け入れている人々の多くは、実際には思考しているとは言えず、その指導者への情緒的な憧れがその思想を受け入れさせているだけである場合が多いようである。

 

このような反応にメンタル体は多少なりとも関与しているであろうが、それはメンタル体本来の活動ではなく、感情が知性を操っていると言ってよいものである。

本来感情をコントロールすべき知性が、感情によってコントロールされているというのが現実である。

感情にとって都合がよいこと、そうであってほしいと信じていることの正当性を立証するために、知性が利用されているのである。

 

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めっちゃ大事だなあ〜〜〜〜。

 

つねに気づいていたいところ。

 

、、といいつつ、いろんなもんに飲み込まれている日々(^^)

 

  

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か

アリス・ベイリー入門―エソテリシズムとは何か