LIFE LOG

日々のこと、ガン治療、NES、TimeWaver ....いろいろなことをつづります

吉田 志穂展 @資生堂ギャラリー

 

 

実は写真にひとつひとつ向き合うの、

 

わりと戸惑うことも多いんです。

 

写真って、その写真家さんのまなざしというか、

 

気配のダイレクトさに、

 

どう向き合って入り込みたいか、自分の中がわかんなくなったりする。

 

あと変にこっちが固定されて、緊張して、何にも入んなくなったりする。

 

それで、「へー、そういう風に混乱するんだ、わたし」って、

 

思ったりもするんだけど。

 

 

この展覧会は楽しめた。

 


普通に見てると山の風景

 

映像が折れ曲がって投影されて、

 

または、そこに稜線のトレースを見つけるととたんに、

 

一気に見てた写真の空間世界が変わる。

 


変な妙な感覚。

 

別の時間と空間が一緒に来ちゃった、みたいな、

 

認識の変換。

 

 

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「砂の下の鯨」というシリーズ、

 

(コンセプトより)

『何度も撮影したことのある、生まれ育った土地にある海岸の航空写真を見ていると、よく知っているはずの場所に見慣れない何かで囲われた土地を見つけた。
(中略)
勝手知ったる場所の知らなかった事件に興味を惹かれ、その場所に行ってみることにした。
鯨の埋められている場所にはとても綺麗な砂紋ができていた。
(中略)
生まれ育ち、知り尽くした見飽きたと言っていいほどの場所が、知らない間に起きたひとつの事実により全く知らない場所に変化していく。
砂の下の鯨はどんな姿でそこに在るのか、それを写真にしてみたいと思う。』

 

 

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あるものがない、みたいな、

 

ないものがある、みたいな。

 

全部映像だし、幻想だし、認識の中だけにしかないし、

 

でもどうしてもそこにあるように思えるらしい、

 

それをプロジェクター投影してる感じがおもしろくて。

 

 


帰ってから作家さんのインタビュー読んで、

 

こういうこと考えてるんだー、とか。

 

世代の認識とかも含めて。

 

 

https://bijutsutecho.com/interview/4221/

 

 

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こういうつらなりの感じ、おもしろい。

 

北海道 〜札幌、美瑛

 

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LCCの格安チケットgetしたので、びゅーんと札幌に飛びました!

 

ただ、ちょうど、ぎゅーっと身体が固まってしまっていて、

 

頭痛いし、離陸大好き、長距離国際線大好きな私にしては珍しく飛行機が辛かった。

 

こんなに短い国内線なのに、、、涙

 

 

 

新千歳空港に着いてすぐ、空港内の温泉に駆け込んでみた。

 

わーい、ガラガラ!

 

露天風呂もひとりじめ❤️

 

空港って基本行き交う場所だし、

 

ゆっくり留まって温泉に浸からないのかもね?!

 

意外と穴場👍👍 体調も回復👍👍

 

空港に温泉ってめっちゃいい。

 

 

 

 

札幌ごはんは、我が家の定番、

 

さっぽろジンギスカン本店

 

 

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ここのジンギスカンが好きすぎて結局毎回来てしまう。

 

おかげで全然、他のお店を開拓できていませんなり。


食べ終わったあとの自分の口の中がおいしさがたまらないよう。

 

 

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完全に写真撮り忘れた。

 

これを完食と言わないでなんと言う。

 

 

 

 

今回の旅は、航空券が安くできたぶん、

 

オーベルジュ「bi.ble」に泊まることが旅の目的でした。

 

bi-ble.jp

 

 

料理の評判と、

 

直球好みな部屋のシンプルさと、

 

いつか泊まりに行ってみたいなぁ、、、

 

と思っていたけど、

 

行っちゃったよ!!

 

Wow!! Wow!!

 

 

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チェックイン時間より早く到着して、

 

帰りもギリギリまで滞在して、

 

スマホも封印して、

 

完全にぼけーーーーーっと

 

ひたすらくつろぎました。

 

 

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説明不要な、


このロケーション。

 

 

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本当に本当に

 

心がこもっていて、

 

行き届いていて、

 

丁寧で、

 

あと、繊細なバランスにこだわったごはんがね、、、、

 

石窯の焼きたてパンと。

 

もう、もう。

 

全身の細胞で味わい尽くしました、、、!

 

 

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エイっと奮発して、

 

美瑛まで行った甲斐があった、、、!

 

 

まるで大人のバカンス気分。


(おい、もう十分オトナすぎる歳ですがね。)

 

 

 

 

 

 

不思議なできごと

 

先日、ひどい嘔吐と頭痛の超絶体調不良に見舞われた時のこと。

 

 

 

いちばんしんどい時、ついとっさに

 

「神様仏様どなたさまでも、ヒーリングでも、とにかく誰か何か助けてほしい!!!」

 

って、ギュンってフィールドに向かって波長を投げてしまった。

 

 

 

そしたら5分?時間はよくわからないけど、

 

身体の中がぶあーって熱くなって、

 

100あった頭痛と吐き気が、突然ぴた、って0になり。

 

 

キツネにつままれたような感じで。

 

 

誰か?何か?がやってくれたの?

 

量子フィールドのマトリックス介して

 

何かが発動してくれたの?

 

一応「ありがとう〜〜〜〜〜」の波長は送って

 

そのまま眠ったのだけど、

 

?????。

 

 

なんだったんだろ〜。

 

でも本当にラクになり助かったのは確か。

 

 

なにしろ、一瞬にして1000になったんだもん。

 

 

 

あとは、セルフteateもやってたから、

 

それで内側からゆるんだのか???

 

 

 

自分の体調が悪くてセルフteateやる時は、

 

痛みを対象として「自分、と痛み」と

 

いうふうに存在を分けないで、

 

「自分=痛み」というふうに、

 

痛みを対象にしないで、

 

自分全体でもって痛みそのものになって、

 

つぶつぶや膜として拡がっていく感覚の中に入る。

 

 

 

それになってると、頭痛とか、いろいろゆるみやすいみたいだ。

 

細かいことはよくわかんないけど。

 

 

もしかして、それがうまくいったのかな。

 

 

 

とりあえず、

 

感謝したし、ながして握りしめないでおこうと思うけれど、不思議なできごと。

 

 

 

…こうやって書いてる時点で十分握りしめちゃってるなぁ

 

たはは

 

 

ダヤニータ・シン展 @写真美術館

 

一目見て、うわぁ、強い!という写真。

 

この作家さん自身の強さなのだろうか。

 

そのブレないまなざしに、

 

女性として、共感する気持ちと、

 

そこはかとないキリキリした哀しさが。

 

 

 

赤い、包んだ風呂敷のシリーズが特に心に留まった。

 

 

女性らしさが内包する強さ、と意思。

 

だんだん人に見えてくる。

 

体温すら感じる。

 

内側の強さ。

 

熟練さ。

 

反面、滲み出る頑固さ。

 

譲れなさ。

 

そして、

 

くいしばり、張りつめ続ける哀しさ。

 

 

 

東京都写真美術館

 

 

 

 

そのまんまに

 

純粋な欲求

 

その人、その生命そのまんまに、

 

なんの余分な意図もなく、

 

動いている人、コトに触れた時に、

 

自分の奥の生命感とグッと共鳴して、

 

何かが無性にこみ上げる。

 

 

この感覚!と思う。

 

 

カテゴライズではなく、体裁ではなく、

 

ただただそのまんまということ。

 

 

 

それはつまり、

 

私自身が、

 

ありのままに感じ、入力し、

 

ありのままに感じたままに出力したい、

 

という欲求の反映でもあり。

 

 

 

そして私は、つまり、考え過ぎているのだな、と気づく。

 

 

 

椿会展2017 - 初心 - @資生堂ギャラリー

 

 

またしても、ギリギリかけこみ。

 

 

椿会展2016がおもしろくて、

 

同じメンバーで次の2017があることを知って、

 

行かないとな、と思いつつ、

 

終わり間際のすべりこみセーフ、

 

いや、パフォーマンスは見逃した。。。から、半分セーフじゃないか。

 

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きれいだなん

 

 

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空気の粒がここだけ細かく透きとおる

 

 

 

 

 

 

www.shiseidogroup.jp

 

 

インテグレイテッド心理学講座

 

週末2日間、溝口あゆかさんのインテグレイテッド心理学講座でした。

 

A Course In Miracle(奇跡のコース)や、ノンデュアリティ(非二元)、などもベースに入っています。

去年満席で受けられなくて、ほんと、1年間楽しみに待っていました!

 

 

自我と投影と、それが本当の今起きている「事実」とどうすり替わっていくか、いろんな方向からそのことについて観察し、しくみを知り、自分を観て、確認していく。

 

自分の中で何度も「うおー、うひひー!」とコッソリ叫びながら、ニヤニヤしながら、あっという間の2日間でございました。

いやもう、楽しくてね〜!

 

(そして、たまたま近くに座ったみなさんが濃すぎて面白くて、それだけで何本分も記事書けるんちゃうかというぐらい!)

 

 

 

大事だなぁと感じたこと、抜粋。

自分の復習メモとして書いてみます。

 

 

本当の自分自身は大海である、が、自分がうずまきだと思った時から分離は始まり、自我の投影を元にした「自分」があるという見え方、が始まる。

 

本当は分離もしていないし、
うずまきとして独立している「自分」もいない。

 

そういう見え方があるだけ。

 

 

大海の持つものは、うずまきにもある。


うずまきの持つものは大海にもある。

 

 

つまり、大海にもうずまきにも喜びも悲しみも不安も嫉妬も傲慢も怒りもすべて在る。

 

それが自然。


そして、常に変化をしている。

 

 

変化を拒むもの、その、うずまきとしての自分の中の感じていることを抑圧し、なかったものにすると、そのセロファンで自分の事実が見えなくなり、代わりに周りの相手をそのセロファンを通して見始める。

 

その、自分の気がついていない思いは、相手が持っていることにすりかわる。(相手が持っている思いのようにみえる)

 

これが「投影」。

 

たとえば
罪悪感を抑圧しているなら、外の人が自分を責めている、と感じる、

もし自分の傲慢さを抑圧し、自分にないものと切り離してしまっているなら、周りの人(組織や政府に対してのことも。)の言動が傲慢に見えて、その人、それらに腹が立ってくる。自分とは関係がなくても、奥に閉じ込めてある「自分にとってマズいコト」をビンビンに刺激してくるので、自分の思いが勝手に反応してしまう。なんか勝手に苦しんでしまう。

 

すべて自分の中に、フタをされたものとしてある。

 

というか、「ないもの」を「あるもの」として、すり替えてしまって、頭の妄想のストーリーを人生として、生きている。

 

感情がそれをさらにリアルに強化する。

 

そして、そのエネルギーは今の自分を今にいさせなくする。

 

そのエネルギーを感じ、のびのびいさせてあげられることが受容と癒し。

 

内側に埋もれさせた声は、抑圧が強いほど、
逆に大きな変容の宝となる…

 

(P.S. ちなみにNESでは、どんな「ないもの」を「あるもの」とすりかえてるのか、画面に出てきちゃうよ〜)

 

自分の中にあるモノを見たくないがために、自分の本当のニーズを感じたくないがために、さまざまなものでフタをする、

そのフタとなり得るのは、もちろんいわゆるアルコールやショッピング的なこともあるだろうけど、仕事や、人間関係、病気、スピリチュアル、非二元すら、フタとして使っていることの多さ、という話もありました。

 

自分としてもあるあるだし、まぁ、ほんとこれあるあるだよなぁ〜。

 

私の好きな本、エックハルト=トール『ニュー・アース』や、中野真作さんの『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』とも共通した内容。

 

 

 

 他にもさまざまなこころというエネルギーのしくみ、動きが、本当に本当に、「うわあ〜〜〜っ!」と言いたくなるくらいすっきりと整理されていて、心の解剖学(あゆかさんは「単なる観察学です」とおっしゃってました。)として、とってもわかりやすかったです。

 

 

 

それと、自分の内側を目をかっぴらいて観れるかは、また別の話(爆)

本当に観る、というのは。

 

観たつもりにすぐなりやすい私(笑)

 

でも自分が無意識に発動させている、さまざまな投影に気付きやすくなるなぁ〜!

 

とりあえず、今晩またいろいろほりほりしてみます☆

 

どんなやつ、出てくるかな、楽しみ、カモン(笑)

 

 

全うする 草間彌生展 @新国立美術館

 

草間彌生展 @新国立美術館に行ってきました。

 

先日、ミュシャ展に行った日にこっちもハシゴしようと思ったけれど、
あまりの長蛇の列に断念、今日改めて足を運びました。

チケット売り場も混雑するので、前もってコンビニでチケット買ってGO!です。

 


10時オープン着で20分待ちくらいでした。
文庫本も一応持ってきてたので、待ち時間は苦にならず。


今まで、あちこちの草間展は行っているのですが、
すごいパワフルだね〜と感動する程度で、
別にそんなに思い入れはなかったんです。

今回も、もうすぐ終了だしとりあえず行っとくか、くらいの軽い気持ちで、
ちっちゃな手提げにスマホと財布だけ入れて、
サクッと見て帰るつもりで来たんです。



それが、、、、なんかもう、


入り口の絵と、言葉読んだらなにかこみあげてきてしまって、


「あ、このパターンまずい、、、、私今日、絵を見たら大変なことになる、、、、」


って思いながら、次の部屋に入ったら、、、、




、、、、目と鼻の蛇口全開(笑)

 

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勝手に号泣スイッチが入ってしまって、
こみ上げるモノをコントロールできなくなって、
ごったがえす会場の中、涙と鼻水が止まらず。

 


、、、パニクりました(笑)


こんな日に限って、ほぼ手ぶら(涙)

どうしてくれよう、この垂れ流しを(笑)



しかたない、コートで鼻をかみかみ、
必死に自我を保ちつつ、
でもあとからあとから泣けてきてどうにもならない。

 


草間彌生の作品、今まで山ほど見てるのにさ…

 


とにかく存在のエネルギーに圧倒されてしまい、
部屋丸ごと、テラヘルツ部屋に入ったような感じで、


ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう
ぐるんぐるんぐるんぐるん


あとからあとから
いのちが、エネルギーが押し寄せてきて、
自分で止められない。


何かに押し流されるがまま、
ぼうぜんと部屋を何周も何周も周っていました。

 



絵がどうこういうより、
水玉がどうこうとかより、

なんかもう、

 


そのまんますぎて、


まっすぐすぎて、


苦しくって、


全うしていて、


神聖で、

 

体現とはこういうことなのだ、と。

 

 

 


それに触れたとたん、
もう、どうにもならない何かがこみあげてきてしまった。

 

 


、、、いや、しかし、めちゃくちゃ恥ずかしくて、
(だってジロジロ見られるし。。。)
自分でも一生懸命抗おうとするのだけど、


白旗、


奥のうねりには抗えませんでした(笑)

 

 

もう最後には、草間さん、生きててありがとう、とか思ったよねwww



こんな感じ久しぶりでした。




これと同じ状態になってしまったのは、
3年前にチェコプラハの大聖堂に足を踏み入れた時。

あの時も、精神の大洪水(笑)に見舞われてしまって、
どうしようもなく、教会の片隅でひとり大号泣。




なんですかね、忘れた頃に、
こうやって、アートの直球パンチに完全ノックダウンされることがあります。


そうやって、ごほうびのようなパワーチャージをもらうので、
あー行くのめんどくさいな、と思いつつ、
ついつい美術館に行ってしまうのかもしれません。

 

 

 

 

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N.S.ハルシャ展 @森美術館

 

ミュシャ展のあとは、N.S.ハルシャ展目指して森美術館に移動です。

 

本当は1日に1軒しか行きたくないけど、
行ける時に行っておいたほうが良いな、ということで、
久々に美術館のハシゴ。

 

パンフ見た時から、
行っときたいな、と思っていたのでありました。

 


ミュシャ展と打って変わって、
人も少なく、ゆったりと味わえそう。

 

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人物の描写がおもしろくって、
ついつい細かく見てしまいます。


子供の頃、ウォーリーを探す絵本に夢中になっていたことを思い出しました(笑)

 

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暖かみのある中に、
作家さんからにじむさまざまな葛藤のようなものや、
人間が普遍的に持つ業のようなモノ、
あと、インドという土地の持つ雰囲気、力などが感じられて、
さまざまに楽しめる。

 

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地面に絵画が敷き詰めてあって、
上がガラスになっている展示、

 

絵の中の人々と、自分と、周りのひととの全ての関係性と、

作品の中の一要素になっている感覚、とてもおもしろい。

 

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変な時空間で三半規管がおかしくなったのか、
実はちょっと酔って、気持ち悪くなったのだけど(笑)

 

 

 

そういや子供の頃の私の妄想で、

 

地球は実はそこらへんの犬の身体の細胞の原子核で、
宇宙はそんな感じでメビウスなんじゃないか、

 

という妄想を(今でも?)持っていましたが、

 

最後の巨大な絵、
「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は、
そんなことをふと思い出させるものでした。

 

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ミュシャ展 @国立新美術館

 


旦那さんが、
ぜひ「スラブ叙事詩」は見ておかねば、
ということで、くっついて行きました。


10時過ぎに着いたけど、
もうすでにごった返す混みようにびっくり。
30分くらい待ったのかなあ。


「スラブ叙事詩」、
あ、こんなに大きいんだ!という驚きがまずありましたね。

 

透き通った空気感、
でもどこか、
抑圧されたような暗さ、苦いような圧の漂う絵でした。

 

いや、しかし、人がすごいね!

 

もっと、空いてる時間に見たかったなあ。