茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術 @東京国立近代美術館
teateセラピスト友達・ひろえさんが、
「千利休が愛した茶碗を見て、わびさびを味わい、宇宙をのぞきにいきましょう。」と、
「オトナ遠足」と銘打って企画してくれたので、ホイッ、と乗っかってみました。
「teateセラピストには特に見て欲しい、僕ももう一度この展示観に行きたい」との、teateセラピーディレクターのまささんこと有本さんの話から広がり、みんなでいろいろ感じてみよ〜う!な「オトナ遠足」。
4名で集合〜。
さて、
入り口の導入がめっちゃかっこいい!!
黒〜く、照明を絞った空間に浮かび上がる、
円(茶碗の拡大写真)と初代長次郎による力強い動物像。
その反対側には、
完全な不完全さを持ち、
なんとも圧倒的な茶碗、大黒。
思わず、拝みたくなる佇まいで。
樂家年代別の茶碗は、
どの代も、その当代の空気、
その当主の背負ったものも全て注がれていて、
ひとつひとつの茶碗に宿る力と魅力がぜーんぶ違って、
だけれども、
つながり続ける流れの中に、
その時代で一度いのちの完結をみて、
そしてまたつながる、
宿命、
ぶちこんだ重さ、
そんなモノも感じつつ、
気づいたら、年代ともに展示空間も白くなっていき、
広がりも感じる。
自分自身が共鳴する茶碗もある。
なんで、これに惹かれるかなー、とその背後にある自分の内側を探り、その当主の時代や、当主の纏う雰囲気を味わってみると、なんとなく腑に落ちたりする謎解き感。
こんなに長時間じっくり茶碗を堪能したのは初めてかも、
と思うくらい、じっくりゆっくり楽しみました。
それぞれのペースで観て、
たまにスッとお互いの感想をシェアし合って、
相手の見かたをおもしろがり、
また1人の時間に戻り、という波もおもしろく。
普段はひとり、
もしくは旦那さんと二人で観に行くことが多く、
実は友達と展覧会を楽しむことはあまりない。
そんなのも新鮮でよかったな。
自分、だと思っているものをつくっているもの
食べたものが自分を作る、ということばがあるけれど、
もちろんそうだけど、
食べたものだけじゃない、
世界をどんな色(=波長)で解釈して、
とりいれて、現実としちゃってるのか、
経験、
経験をどんな解釈=エネルギーで握りしめるか。
密度を濃く、現実のものと思い込むか。
考えのパターン、解釈として
エネルギーとしての密度を留めて固めているのか。
反応のパターンも、
その反応パターンが出るための、
どんな解釈を今、ここで握りしめ固め続けているか、
どんなエネルギーがかたまりの密度を濃くしているか、
とにかく、ありとあらゆる、全部、
それが、情報として自分を、
環境だと思っているものを、織り上げて。
それでしか見えなくなり。
相手もそう見え。
それが事実とすり替わり。
何を認識して現実だと思っているのか。
自分が現実だと思っている、
それは本当に事実か?
オーガニックライフTOKYO、始まりました!
今日から日曜までのオーガニックライフTOKYO、始まりました!
屋上中央のカラフルなNESスキャンコーナーで、3日間お待ちしています。
周りには、気になるブースがいっぱいで、セッションの合間にさっそくエシカルファッションのブースでポーチを買い、布ナプを買い足し(去年と同じレメディガーデンさんでした☆)、満喫しています〜(^^)
キッチンわたりがらすさんのカレーも丁寧なお味で美味だった♡
さて、明日も楽しみながらがんばります!
ORGANIC LIFE TOKYOでNESのミニセッションします☆
今年も、ヨガのビックイベント「オーガニックライフTOKYO」に、NESのスキャンで参加します(^ ^)
3回目になる今年は、ふだんフルセッションでやっている「イメージスキャン」のミニバージョンもイベントで初めてやります!
ふだんのセッションでは、
何のためにNESを受けるか、自分のゴール像、こんな自分でいたいな、というイメージを意識してもらいながらスキャンしています。
そうすると、その意識イメージと今のエネルギーの乖離、というか、
「何がブロックになって、その状態にいくエネルギーの流れが滞るのか」が画面に出て、今いちばん自分に必要なことが見えてきます。
内臓エネルギー、経絡、チャクラ、潜在意識などもふくめた「見えないカラダ」の声に気づいてみたい方、ぜひにおためし下さい〜(^ ^)
イベントでは、ヨガのレッスン、オーガニックフード&ビール&ワインももりだくさん、環境にやさしいファッションのブースもいっぱいで、春のぽかぽか気持ち良い週末を過ごすのにぴったりですよ!
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ORGANIC LIFE TOKYO
4/21 (金)〜4/23(日)
@3331 Arts Chiyoda
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*イベントスキャンメニュー*
●15分 1,500円
よりいきいきとした自分自身になっていくための、ワンポイントスキャンになります。
いちばん必要だな、という画面に絞ってお話ししていきます。
●30分 3,000円
本セッションのショートバージョンです。
ご自身のテーマにそって「イメージスキャン」をし、スキャニング全体をフルに見ながら、テーマに向かっての、今いちばん必要なエネルギーのメッセージを横断的にチェックしていきます。
* * *
NESチームは、屋上・日本ホリスティック医学協会ブースの片隅におりますよ〜
おかげさまでキャンセル待ちの出る、毎年人気のブースです。
当日予約OKですが、例年どんどん枠が埋まってしまうため、確実に受けたい方は事前予約も受付中です。
各日10:00〜17:20内で
毎時 :00〜、:20〜、:40〜
ご希望のご予約時間帯、メニューをメールでお知らせくださいね。
お申込お問合せ:energy★holiken.jp(★を@にかえて下さい)
体験してみたい!という方はお気軽にご連絡くださいね☆
「満月エサレン(R)ボディワーク with クリスタルボウル」を受けてきました
「満月エサレン(R)ボディワーク with クリスタルボウル」を受けてきました。
クリスタルボウルの音は、実は聴いたことがなく、エサレンのオイルトリートメントとの告知を見た瞬間に「これは絶対気持ちいいに決まってる!」とほぼ反射的にポチった私です。
満月な中、セッションの数時間前に生理も来て、満月モード充満、頭も痛重いし、心身がたぷんたぷんな自分を連れて行きました(笑)
クリスタルボウルを取り囲むようにベッドが曼荼羅のように並び、さらにキャンドルの揺らぐ光がそれを包み。
そんな中、静かに音が響き始め5ペア同時にそれぞれのエサレンが始まる、この非日常感、儀式感。
たまらなくときめきます〜。
そして、初めてクリスタルボウルの音につつまれると、心臓のあたりからとめどない厚みを持ってうねる音のなみ、いや、波なのか?、自分が音になったような感覚になりました。
音に目玉がくっついて気づきとなっているというか。
と、同時に、エサレンの包み込まれるようなタッチに守られながら、ほわぁ〜、、、と安心を感じ、皮膚にくるまれた身体の自分も感じ、暖かな心地よさが通り抜け、また音の波に広げられ、、、、、存在が幾重にもなって、それにゆだねきる至福。。。。
ちなみに、セッションの直前に、NESで自己スキャンをしていたのですが、
「ありのままに対して危険に感じる、過剰に守るクセ」が今のテーマ、気づきとして出ていました。
個人的には、素晴らしいタイミングでのエサレン&クリスタルボウルだったのだなぁ、と改めて感じます。
この満月セッションの予約をしたのはずいぶん前。
自分のフィールド(潜在、見えないカラダ)は、すでに必要な時期やことをちゃーんとわかってるんですよね。
過去、現在、未来はすべてここ、今、にある。
その「今」に、ふっ、、、と浮かぶ、涌く、小さな声に、正直にいきたいな、と思いました。
終わって、帰り途中。
ずーんと、重くのしかかっていた頭痛は、セッション後に消えており♡
そして、猛烈に喉が痛くなり始めました。
(2日経って、かなり喉が腫れ中)
これまたおもしろいことに、
直前のNESスキャンで、喉のブロックも表示されていたんですよねー。
クリスタルボウルは各チャクラに対応した周波数のボウルなのだそう。
ふーむ。。。詰まりやすい、固まりやすい部分に、さっそく反応は出始めているなぁ。
帰宅して、無性に手を動かしたくなり、
久しぶりに絵を描いていました。
奏者の佐藤先生、プラクティショナーのみなさま、素敵な時間をどうもありがとうございました。
1人個室でじっくり受けるのはもちろんいいけれど、これはまた違う魅力でとっても楽しかったです。
『アリス・ベイリー入門』のメモ 2
『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』(土方三羊 著)からの備忘録つづき。
直観について。(直感ではなく)
ノンデュアリティの人たちの言っていることにも少し似ているのかなあ。。いや、ちょっと違うかもな。。。と、あくまで、私の主観で感じた部分を勝手にメモ。
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P83 L1
ブッディとは直観、つまりマインドによる理論的な推測や理由付けを超えた意識状態である。
(略)
直観は魂へと強く方向づけられたパーソナリティとグループ意識を持つ魂との相互作用から生まれる。
直観とは、普遍性の原理を包括的に把握することである。
直観が作用しているとき、ほんのしばらくの間であれ、分離感覚は完全に失われる。
その最高点においてそれは普遍的な愛として知られる。
それは感傷や情愛深い反応とは関係なく、すべての存在との一体性の性質を帯びている。
直観とは光そのものである。
直観が作用している時、世界は光のように見え、すべての形態がもつ光の体が徐々に明らかになる。
それはすべての形態のなかにある光の中心と接触する能力をもたらし、本質的な関係が確立され、優越感と分離感は背後に退く。(『グラマー』より)
『アリス・ベイリー入門』のメモ 1
最近、『アリス・ベイリー入門 エソテリシズムとは何か』(土方三羊 著)を読み始めました。
引き出しの奥に突っ込んだまんまの『秘教治療』を、もう一度ページを開くための準備体操です。。。笑
読みながらメモしておきたい部分を、備忘録として残しています。
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P33 L4
結局は、自分自身がどのように反応するかにかかっているのであろう。
そして、私たちがどのように反応するかは、私たちがどのレベルに意識を焦点化させているかによって決まるのである。
(略)
どれだけ高度な教えであっても、それを人間にとって意味のある言葉に変換するプロセスによってその純度は低下することになり、それを読む人々のレベルでそれを解釈することが可能になるからである。
このことは、キリストや仏陀が世界に与えた偉大な教えを偏見に満ちたマインドで解釈し、宗教的なドグマへと結晶化させてきた聖職者たちの歴史が立証している。
しかし、そのような解釈によって教えをいかに巧妙にねじまげても、それはその人がもっている不完全なアイディアをその教えに投影して歪曲しているため、人々の意識が進化するにしたがって多くの矛盾点を露呈することは避けられない。
(略)
批判、それは意識が分離した自我に集中していることを示し、マインドが限定されていることを示すものである。
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P40 L15
ある観念をアカデミックに考察し、一つの体系として系統立てるのに成功した時、その人のマインドはその体系に占領され、それを非の打ちどころのない真理と見なすようになる傾向がある。
そして、それに少しでも矛盾する点があるものはすべて偽りであると判断する。
このような傾向はメンタルタイプの人々にしばしみられるものであるが、一つの体系は次なる新しい体系を築くための基礎、もしくは一時的な足場でしかないことを忘れるべきではない。
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P77 L5
私たちは常に何かを考えている。
しかし、それら全てを知的活動と考えてよいのだろうか。
私たちは本当の意味で思考しているだろうか。
実際には思考と考えているものの多くは、厳密に言えば、思考ではなく、何らかの想念に対するアストラル的な、つまり情緒的な反応でしかない。
実際、私たちが口にする意見のほとんどは思考の結果として生まれたものでも、思考活動によって正しいと判断したものでもない。
それはおそらく、周囲の大半の人々がそう思っているからという理由から正しいと信じ込んだものであるかもしれないし、その逆かもしれないーーーつまり、周囲の人々と同じではありたくないという感情的な反発心から少数の反対意見に賛同しているだけかもしれない。
また、パワーに満ち雄弁に語る指導者に影響され、その指導者の思想をそのまま自分の思想として受け入れている人々の多くは、実際には思考しているとは言えず、その指導者への情緒的な憧れがその思想を受け入れさせているだけである場合が多いようである。
このような反応にメンタル体は多少なりとも関与しているであろうが、それはメンタル体本来の活動ではなく、感情が知性を操っていると言ってよいものである。
本来感情をコントロールすべき知性が、感情によってコントロールされているというのが現実である。
感情にとって都合がよいこと、そうであってほしいと信じていることの正当性を立証するために、知性が利用されているのである。
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めっちゃ大事だなあ〜〜〜〜。
つねに気づいていたいところ。
、、といいつつ、いろんなもんに飲み込まれている日々(^^)
コシラエル展 @スパイラル
たまたま入ったら
なんてステキな〜!
すんごい気持ちがうきうきしてくる。
こりゃスキップ踏んじゃうでしょ。
わたし日傘ささないからなぁ。
買っても絶対ささないからなぁ、
展示で楽しもう(笑)
ところで傘って、いい形してるんだねぇ。
EFT & マトリックスリインプリティング 3回目
先日、EFT & マトリックスリインプリティングの3回目を受けてきたので、覚え書きです。
今回は、なんだか大きな回だったように思う。
前回までは、風呂敷にいろーんなものを広がるがままに広げて広げて、吐き出して、みたいなことを自分自身したい気分で、そのままなんでもかんでも吐き出してみていた。
今回は、そこを経て出てくるものに委ねよう、という感覚で向き合いました。
自分の中にあるイメージなどを伝えながら、タッピングをしてもらいながら、テーマの階段を一段、一段、深く降りていく途中、突然ぐわーーーーーーっっっと「苦しい、苦しい」という感情が、ぐにょっとした赤黒い尾をひいた塊となって、自分の中を勢いよくうねって上ってきた。
そのどろっとした塊が去ったあとも、いろんなイメージが浮かび、
イメージからイメージへ、一歩ずつ深く入ってゆく。
最後に出てきたのは、
かっすかすに水分がなくなって、枯れ果てて、粉のようにポロポロと風化していく死のイメージ。
「どうしてあげたいですか?」というセラピストさんの声。
そしたら、勝手にイメージの中で、風化した粉に水が混ざり、逆再生イメージが始まった。
だんだんと脇には水が出現し、湧き水となって流れを作り、さらさらと全てを潤す。
澄み切った、きれいなきれいな、透き通った水。
温度も感じられるようだった。
くぼみがあればくぼみの形に沿うし、
液体から霧にも雪にも変化する。
自由にまわる全て。
どこにでもいつでも満たしている、
自由にまわる全て。
しばらくそこに浸りきった。
その感覚を感じ切った。
終わってから、ぼーぜん。
めちゃくちゃ体力も使っていたようで、へとへと。
たぶん、深い場所でひとつ大きな作業をしたのだと思う。
勝手に出てきたこのイメージは、シンボルとして、あるインスピレーションを伝えてくれた。
ある状態を、イメージの中で「死」として固定して持ち続けていたこと。
そこを現実として、リアルとして感じて捉えて、生きていること。
それが苦しみの奥にあったこと。
出てきた水のイメージは、それを変換してRe-born=再生のイメージでもあったし、永遠の循環でもあったし、私にとっての生きるそのもの。そのままであるということ。
そして、そもそも全ては移りゆく、って意味も知らせてくれた。
状態は、状態でしかない。
それをひとつの固定イメージ、たとえば「死」とか、に、固定しなくていい。
こちらから出てくるイメージと、そこからその次の行き先、エネルギーのベクトルを、ちょん、とセラピストさんに支えてもらい、またマトリックスが展開する、ほんとにジャズセッションという感じでサポートしてもらった。
数日経ってみて、すでに変化の芽は出ているのを感じられる。
まず感じているのは、内側の何かが軽くなっている体感があること。
なんだろう? こだわって奥の方で息を詰めていた、重苦しい何かがいなくなっている気がする。
心の内側でのありようもそうだし、身辺でも現実が動きそうな気配。
エネルギーが大きく動くと、次に現実に落とし込まれて流れが動く感じ、まさにそれが来ている気配。
春だしね。楽しみだな。
ちなみに、お世話になったセラピストさんは、
EFTとマトリックスリインプリンティングを専門にしていらっしゃる湯浅和花さんです。
チャーミングな雰囲気の方で、初対面でもリラックスしてお話できたし、
セッション中はニュートラルな立ち位置がぶれないので、安心して受けられました。
NESもそうだけど、こういうエネルギーにアクセスして自分の変化をサポートしていくセラピーって、まず3回は受けてみないと大きな実感が得づらいだろうな、と思います。
もちろん、1回でぐっとくる場合もあるけど、より深い階層にたどり着いていくのは、まず順番に浅い階層の土台をしっかりさせてからじゃないと、結局あとの伸びしろが出てきづらいことも多い。
NESにしろ、EFTにしろ受けたら、エネルギー場は100%確実に反応して、動き始めているから。
肉体、現象界に現れてくるのはその調整のあとだから、
セッション1回目では、体感レベルでよくわからないことも多い。
(私もよくあるんです)
その大きな流れへの信頼を自分で持てること、
セラピスト視点からいくと、クライアントさんに持ってもらえること、
自分自身がセラピスト側の時も、伝えられているか悩ましかったりもするけれど、
ま、全ては必要なことがなるようになっているから、ま、いっか(笑)