旅の途中(1)
最近『蜜蜂と遠雷』を初めて読んだ。
ピアノコンクールの話なんだけど、描かれているものの奥行きと描写のカラフルさ、とんでもない読み応え!!
夢中で一気に読んだ!!
作中に、その昔優れた仏像をあまた残した仏師が「私が仏を彫っているのではない、木に埋まった仏を掘り出させていただいているだけだ」という会話が出てくる(詳細うろ覚え)のだけど、音楽でも文学でも絵画でも、セラピーの世界でもなんでも「私がやっている」うちは、ここにあまねく存在する音、光、色、その本質との間に薄皮がはってしまうのだろうなあ。
大いなるもの。
ここにあまねく存在する音、光、色。
音楽とは、芸術とは、生きるとは。
「私」の消滅。
気づいたら、ひたすら泣きながら読んでました。
2周目は出てくる楽曲をネットで探して聴きながら、ことばでの描写と合わせて楽しんでいます。
真夏の読書にぜひオススメいたしまする。
* * *
さて、私の旅の備忘録をば、少しずつ。
5月に4回目の抗がん剤をやったのを最後に、5回目以降は中止することに決めました。
決めるまでの葛藤は、「選ぶこと、決めること」「メンタル激落ちくん2020夏至」にて。
決めてしまえばスッキリした。
これで抗がん剤体験コースは終わりだ。
代替療法界隈には自然派志向の人も多いし、激しくアンチ抗がん剤派の人も多い。
「効かないのは当たり前だよ」との声も届く。
アンチの人は、ガン患者じゃない人が多い気がする。
イメージや、今まで学んだ知識で言ってる人もなんとなく多い気もする。
でも抗がん剤、効いている人もたくさんいる。
実際、わたしの周りにも薬が助けになった人は何人もいる。
どうやって生還するかの方法に貴賎はないよね。
自然主義も西洋医療も単にテーブル上のカードのひとつひとつだ。
その人が納得して、決めて、信頼した方法に貴賎や優劣はない。
全部フラットに味わいたかった。
そして、私には1mmも効かなかった。笑
むしろ肝臓の転移ガンは増殖した。
でも、やってみてよかった。
抗がん剤は、ガンにならないと体験できないコースなのだよ。
これで抗がん剤への悔いはない。
わたしの旅は続く。
●7月初旬
すごい強烈で何が起きるかわからないから抗がん剤やってる時はやれなかった、TimeWaverの遠隔自動調整のひとつ、レベルウェーブ送信開始。
(新百合サロンにある師匠のTimeWaverから、遠隔で各種調整波が自動送信されてきます)
すぐさま、2ヶ所ピンポイントで激しい右下腹部痛と、40度近い高熱と、家族への激しい怒りの浮上で一旦ギブアップ宣言…
ちょ、ちょっとゆるめてくださあ〜〜〜い!
うぉぉぉぉおおお、、、こりゃあキツイぜ、、、。
なんとなくだけど、自分の腹の周りに赤い怒りの湯気がぶわんぶわん渦巻いてるのがわかるのだ。。。
おおお、怖ええぞぉぉぉ。。。
私のガンの転移先は肝臓だし、肝臓は怒りを溜め込んでいる臓器と言われておるし、まあ、やっぱそこつついて来ますよね、、、ですよね〜。。汗
地獄の釜の蓋が開きそうな予感とでもいったらいいのか。
家族への激しい怒り。
私の思考が信じちゃってる、実家や女の人にまつわるビリーフ、思考ストーリー。
「私は優先されない。何もしない奴が優先される」ってのが、私が深いところで信じて手放せなくて、それでいろんな物語作って自分自身を傷つけてるビリーフ。
これは今までもいろいろワークしてきたり、プロのセラピーに頼んだり、なんとかだましだまし乗りこなしてきたんだけど、レベルウェーブにつつかれて、またそのビリーフストーリーが燃え上がって、身内への怒りがどうにも止まらない状態におちいった。
熱も38度前後が数日続く。
自分でも何度も寄り添ってきた、この根源ビリーフの子。
私は実は、30年近く腹の中に「岩があるな」との感覚がある。
この感覚は、本当に岩とか石の組成が肉体感覚としてありあり感じられるとしかいいようのない感覚。
そしてこの岩の中に女の子が長年住んでいる。
ドアを開けて、出ていいよと言っても、どうにもやさぐれていて頑として動かない子だ。
「やっぱこの子か。熱が引いたらプロに頼ろう」とこの時は思っていた。
ちなみに風邪とは全然違う。
高熱のダルさはあるけど、風邪のダルさや症状は一切ない。頭痛も関節痛もなし。
でもあまりにしんどいので、師匠にタイムウェーバーでエネルギー解析してもらったら、この熱の震源箇所は、肝臓や腫瘍自体ではなく、十二指腸に合流する付近。胆管との合流あたりか。どっちにしろやはり右下腹部。
関連共鳴は先祖系エネルギー。
その数日後。
義父が倒れて救急車で緊急入院。
最初は一般病室だったんだけど、血圧が急激に下がったから集中治療室に移動になったと病院から連絡が。
旦那はとにかく家族兄弟孫全員総出で病院に行くぞ、と。
でも私は熱もあり、お腹もシクシク痛く、私のカンとしては義父は今は危篤ではないと直感で感じたから、ちょっと行くのを迷ってたら、「死に目になるかもしれないのに行かないのか」と旦那と激しい口論になり、折れて、先に車で行った旦那たちより少し遅れてふらふら電車で出発した。
この時点でまた発動しちゃったんだよね、私のクセ。
本当は自分を優先したいのに伝えきれなかった時に、ものすごく冷たい怒りを隠して、自分を傷つけてでも相手の要求を最優先に叶えて差し上げますわよやさぐれモード。
私も体調悪かったし寝ていたかった。
自分でも冷たい人間だとわかってるけど、正直、義父の死に目には会えなくても、後悔はなかった。
けれど「アナタの父を思う気持ちを、私がたとえどうなろうとも、ああ、すべて叶えて差し上げますとも」的やさぐれモード発動。
このパターンの発生元も例の、岩の中の子のエネルギーが関係している。わかっちゃいるのだ…わかっちゃいるんだが、というところ。
結局、立川方面は車より電車が早い。
特急とタクシーを乗り継ぎ、誰よりも早く病院に着き、もうすでに容体は安定してることを皆に伝え、パニクっていた車組も落ち着いて病院に到着。
務めを完遂。
そして翌日。
40度の高熱と、さらに激しい右下腹部痛で、私は起き上がれなくなった。
少しでも笑ったり深呼吸をしたり、身体を動かすと、最初のレベルウェーブで痛み始めた右下腹部にさらにとんでもない激痛が走るので、左下伏臥位で固定して、ひたすら高熱にうなされながら横になっていた。
義父の病院から電話。
精密検査をしたら、胆嚢が膿んで破裂していたそうだ。
でも主治医が首をひねることには、義父は胆嚢が化膿して破裂しているにもかかわらず、最初から全く痛くないとのこと。
いっさい鎮痛薬や麻酔をしていないのに。
先生曰く、臓器破裂で痛みがないのはありえない、そうで。
ただ38〜39度の高熱はあるけれど、何も痛みがなく暇だから、集中治療室で義父本人はテレビを見ているらしい。
ま、まさか〜、、、、汗
レベルウェーブ開始後も、ずっとエネルギーモニタリングしてくれている師匠に、
「まさかとは思うのですが、この痛みと熱、胆嚢や胆管が関係していないでしょうか?
それも義父の胆嚢破裂が、、、。
いや、まさかとは思うのですが、、、念のため、、、。」
と連絡してTimeWaverでエネルギー解析してもらったら、
出た。。。
「YES」
がーーん。
やっちまったーー。
例の「自分を傷つけてでも人の要求を最優先に叶えて差し上げますわよモード」が、義父の胆嚢破裂に共鳴を起こしてもうた。
位置は同じだわ、義父の破裂日に私の右下腹部激痛が始まるわ、熱の出方一緒だわ、その破裂してる義父本人が1mmも痛くないってありえないし、まさかとは思ったが、、、。
なんだかもう一体全体何が起きてるのか、笑うしかないけど、笑うと激痛だから我慢。
ずっと、エネルギーの境界線をつよくしろ、周りの人の面倒をみるな、自分の世話だけしろと言われ続けていたなかやっちまった共鳴。
でも、意識して起こしてるんじゃないから、顕在意識の私の手には負えない。
私の顕在意識は1mmも義父の痛みに寄り添いたいと思ってなかったし、共感ゼロだし、なんなら死に目になんか会わなくていいって思ってた相当冷徹な嫁。
義父がどうして突然胆嚢破裂を起こしたのか、は義父が長年抱えている「テリトリー意識」に関するトラウマ感情と実はつじつまが合っている。
胆嚢は「テリトリー意識」と関係する臓器。
でも案外、胆嚢破裂したことで義父が長年薬も使いながら抑え込んでたエネルギーが外へ出たかも。
義父にとっては必要なことだったかも。
今回は、私の「自分の思い、自分の領域を守れない」っていう感情エネルギーと、質的に共鳴しちゃった気がする。もともとレベルウェーブに揺さぶられて、感情が不安定になっていた。
そして共鳴を起こして義父の身体的痛みだけ引き受けてしまったということは、根っこの意識の解放をせっつかれている気がする。
いやここ、わかっちゃいるけど、今までなかなか内観ワークでも解放したと思ったらぶり返す私の怒りと悲しみエネルギーのキモ。
エネルギー共鳴が起こるのは、不安定な感情が安定する居場所を求めて、不安定感情の周波数的に同調する「共鳴する対象」を見つけて、くっついて安定しようとした時。
トラウマ周波数帯の方が長年なじんでるから、そっちに自分を固定しようとする。
こうやって、トラウマ感情が居座る場(エネルギー層)ができる。
なんかアレだね、活性酸素の仕組みと同じだな。笑
「共鳴する対象」は、そもそも自分にとって要らないもの。(そうだよね)
でも、この感情を手放した自分で生きるのが怖いから、そのネガティブパターンが要るものだと思いこんじゃってる。
あまりにしんどいので自分でもNESでスキャンをしてみたら、
「家族に関する混乱とテリトリーの問題」と出た。
そして、それについて、
<リバレーターをやれ=奥にこびりついたビリーフトラウマパターンの解放をやれ>が点灯した。
<キーワード>
・同じことを繰り返してることに気づけ
・境界を作れ
・家族と混乱の問題を断ち切る
・私の領域を守る
・自分に正直に生きて自分のバランスを取ること
・流れに任せろ
、、、てか、まんまやん。爆笑
そして、流れに任せろ、か。。。
『境界を作って自分を優先する生き方をしたら、無力な私は生きていけない、無力な私が価値を持つにはがんばってがんばって、人の問題も私が引き受けてみんなの役に立たないと』って、深いところで握りしめてましたからね。
画面から見るに「3歳までに聴いたこと、拒否されたこと、その欲求が叶えられなかったこと」が原因だと。
これも何なのかわかってる。
長年取り組んでた例の、「腹の中の岩の内側に住んでいるやさぐれている女の子」に関係してるから。
「私は優先されない。何もしない奴が優先される怒り」
弟が生まれて優先順位が私じゃなくなった衝撃で凍っちゃったまま、3才の私が本心を岩の中に封じ込め、母に振り向いてもらうために作ったビリーフが
「がんばって、なんでも引き受けてみんなの役に立たないと」
私の無意識にどっぷり刷り込まれていて、今までの人生のベースになっていたビリーフ。
ただ、その発信元の3才の子は、長年信じられないくらい頑なに岩の中から出ようとしないのだ。
ここを再度、TimeWaverのレベルウェーブだけでなく、NESのリバレーターもつつこうとしてきておる。
、、、はい、ただ、やりたくても、体調悪すぎて体力も気力もねえんだよ。笑
●7月中旬
引き続き40度近い高熱と腹痛が続く。
10日以上しんどい思いしてるのにイマイチ病院に行く気になれないのは、そもそもの始まりがTimeWaverのレベルウェーブだし、義父とのエネルギー共鳴なわけで、病院行ってどう説明するよ、、、って気分だから。CT撮っても何も出ないよ。
まぁ行ったら、即入院になって、即、解熱鎮痛剤点滴、絶食&ブドウ糖点滴、抗生剤点滴の3点セットをするだけだ、ってわかってるもんでね。
これ以上もこれ以下もない。
今、その治療が必要だとはなんとなく思えない。
なんとかTimeWaverのセッションだけは受けていた。
結局私のエネルギー不足すぎて、エネルギー調整すらできないありさま。
(エネルギー調整には本人のエネルギーを使うからね)
NESのリバレーター指示も出てるけど、エネルギー枯渇が甚だしいから、今回はリバレーターのトラウマレメディを飲むのは見送り。
TimeWaverのレベルウェーブも飛ばすのを一旦中止。
ひたすら、体力回復のための調整のみ。
家では補給用レメディでエネルギーチャージしながら、食べれるものを食べて栄養摂って寝て休んで、とにかく体力を回復させることに。
ちなみに、義父については、
「この人は別の問題持ってるから、もうあえてヒーリングしない方がいい by TimeWaver」 だそうで。
共鳴が起きている場合、わりと該当者全員(先祖含め)一斉ヒーリング調整することが多いのだ。
Healing = Changing
つまり、ヒーリングは変化を促しちゃうんです。
義父については、脱皮する変化を促すより、長年守ってきた古い周波数帯で最期まで生きるのが最良っていう、TimeWaverの判断でした。
というわけで、私は今後に向けて、しばらく静かにとにかくひたすら体力回復に専念、、、
、、、する予定、だったのです。。。。。。orz
〜〜旅の途中(2)へ続く
のほほんのあとの地獄〜
6月末、抗がん剤をストップしました。
通常よりも強力な組み合わせの薬だったけど、検査数値と画像診断上、全く効果が見込めていないため、身体への負担を考えてやめました。
主治医からは、今までとは違う組み合わせでの抗がん剤も提案されたけど、それもやめました。
これは、そんな6月末のメモ。↓
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4月くらいから、指に刺さったトゲが抜けてなくて、そこがウオノメみたいに芯ができて硬く盛り上がってしまってた。
そのウオノメ的な塊がお風呂でふやけたのをある日ピンセットでいじってたんだ。
そしたらたぶんトゲごとウオノメ芯が抜けて穴になって。周りの硬く盛り上がった皮膚もふやけてるからペロンと取れたんだけど。
なんかふと、腫瘍もこういうことかも、って気がしたの。
もともと私は、身体は間違わないっていう信念があって、昔そういうブログも書いたような気がするんだけど(→ああ、あったあった)、
そんなふうに奥に入り込んだトゲを体の外に出すために、指の皮膚が一旦包んでその周りを硬くさせて盛り上がらせて芯を作って、機が熟したらそれがぽろっと取れるように体が自らそういう変化を起こしているのだよなあ、ってふと思ったの。
何をすべきかは体が知ってるんだから、私がすべき事は体がその力を発動しやすいようにその環境整えること、体が力を発揮しやすい状態を整えること。
ずっとこれは自分がクライアントさんにセッションでもやってきたことだし、今までの学びの基本のことだけど、もう一度ここに立ち返ることが必要なのかもしれない。
抗がん剤をやめ、指のトゲが抜けたのを見て思った。
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その後の7月。
今もまだ続いてるけれど、これが7月、とんでもない怒涛の日々。
6月はトゲだウオノメだなんだと、こんな↑のほほんとしたことを思ってたんか。
いや、大事なことだけど。笑
7月は体力も精神力も限界まで使い、身体と心の叫びに向き合い、例の「身体は間違わない」の記事で言ってることの最奥をたぶんやり、マジ死ぬ(弱音)、いや大丈夫だ、の繰り返し。
今も続いている。
はっきりいって、超しんどい。マジもう勘弁。
リアルタイムの雑なメモはtwitterに書いてた。
超しんどいが興味深かったので、切れ切れの意識でほんの少したまに書いた。
ガン自体からの肉体的な苦痛や苦しみは無いの。
今向き合わされている内容と、それに伴う身体への実際的なダメージがしんどい。
そんな日々を過ごした7月、おとといの血液検査は過去最悪だ。
今までぶるぶるしながらどうのこうの言ってた春の数値なんてもんじゃねーぞ。
もー、ほんと私大丈夫なんか?笑 いつか成果出るのか??笑
一応エネルギー場の全体エネルギーは、抗がん剤やめたことで上がってきてるんだけどさ。
肉体には棺桶見えてきてないか??
私にとって必要なことはかなり起きてきてる気はするけど、その代償で肉体は死にました、とかマジシャレにならんし。笑
まあ、もうここまできたら、死ぬときゃ死ぬな、マジで。
生きるなら生きるだろうし、なんつーか。
血液検査の結果を受けて、来週急遽造影CT。
とにかく今は、起きることに全精力を注いでおり、体力精神力ゼロ。
そんなんでブログも書く余裕と気力がないので、引き続き超不定期っすー。
元気に生きて体力があればいつか続き、というか7月に起きていることを全部まとめて書けたらいい。
その時はスッゲーーーー長い文章になると思いまふ。
メンタル激落ちくん2020夏至
前回のブログを書いた頃から薄々下り坂だったけど、夏至のあたりからさらにどんどん沈んでこのところずっとメンタル激落ちくんだった。
体調は変わっていないし、体力はあるし、元気なのだけど、半年ごとのCT検査結果で気持ちが折れちゃったのだ。
睡眠サイクルもおかしくてうまく眠れなかった。自己スキャンしたNESでもサーカディアンリズムがヤバくて、身体の巡りを整えようとしたりしてもどうもうまく働かない。リラックスする精油もダメ。
とはいえ、これを書いている今はもう結構気持ちが元気になってきたんだけどねー。いろんな人に泣きついて、うだうだ言って、じたばたして受け入れて。
この6月のザラザラ感を残そうと思って、先週のことを思い出して書こうとして、その時のヒリヒリしたメンタルに同調してしまって、今またズーンと落ち込んでいる。まったくアホか笑
こんなのいちいち書かないで、そのままエネルギーつかまずスルーさせて流せばいいことなんだけど、私にとってブログを書くのは腹の中に刺さっている小骨やヘドロを取ってぶちまけて洗い流して進むような作業で、つらいわーとブツブツ呟きながらつい書いてしまう。
自分が何を書いていたのかもいちいち覚えていないし、微修正をしたあとは基本読み返すことはない。放りっぱなしだ。
あーあ、だったらいちいちエネルギーつかまえず書かなきゃいいのに。つくづくおまえはめんどくさい奴だな笑
その前の、最新の血液検査でうすうす予想はついてた。
数値は数値。だから軸足を数値ではなく、自分のリアルな体感におこうとつとめているのだけれど。
でも、数字と画像のビジュアル的なインパクトは、メンタルにダメージを受けるのだよ。。。薬投与同様、復活するのに少し時間がかかる。。。
ガンは、本当の末期になるまではそんなに体感はないので、抗がん剤が抜ければ身体はそこそこ元気だし、悪い結果を聞いても体感での実感はわからない。
数値や画像を見ても、イメージだけの数字だけの世界のような気がして、これが自分のことなのか不思議だ。
でもあれだけ、通常の抗がん剤よりも強力な薬を使っておいて、そりゃないぜ~。せめて頑張ったごほうびをもう少しくれよ。
そんだけ強い薬を使ってるのに、予想よりダメージを受けていなかった私の体力もすごいと思うけど、それはガン細胞も同じことなのでした。
私が元気なんだからそりゃガンも元気だわな。
同一人物なんだからさ。
ガンだって私なんだからさ。
めちゃくちゃ天邪鬼な私の作り出したガン細胞だろ?そりゃあ天邪鬼だよな。
消そうとすれば「ンア?消えてやるもんか、フヌッ!!」って抵抗するよな。笑
ん?そういう理屈なのか???
抗がん剤を使わないで、代替療法と食事と栄養と感情に取り組んだ最初の3ヶ月でもガンは一気に増えたし、この増え方はヤバい、と、吐きそうなくらい悩んだ末、決断した抗がん剤治療を3ヶ月受けてみて、代替療法だけだった抗がん剤前の3月のマーカーが400だったのが、6月は4桁を超えてしまった。オーマイガー。
意を決してCTを受けてみて、結局さらに腫瘍が増え続けているとわかった。
こないだガン患者FBコミュで末期ガン患者の方が「ついに肝臓腫瘍マーカーCEAが300を超えてしまいました。。。」と悲痛な書き込みをしていたけれど、わたしの4桁はこれは一体どういうことなんだ。。。
マーカーに一喜一憂してはいけないと巷では言われているけれど、にんげんだもの、気になるさ。こんなに元気なのに〜泣
このルートは死ぬのかな、って思った。
ステージ4cとはいえ末期じゃない私が、死ぬかも、、、って思うのはまだ全然早いんだけど、凹んださ。
とにかく社交もしたくない。LINEやメールをもらっても返信を文で返すのが面倒くさく、スタンプだけで済ませたい、実は。
〇〇を手放せ、〇〇が問題、〇〇で免疫を上げろ、あれ飲め、これ食べろ、あれが効く、これを読んでほしい、ポジティブにフォーカスしろetc…
、、、私の人生、そんなに今まで間違ってた?
死に至るくらい、死刑にされそうなくらい、間違った人生だった? …って腹立ちが湧いてきて、何も信じられない。何もわからない。何も解決しない。そして腫瘍は増え続ける。
私が死んでも、この世界は問題なく粛々と続いていくし、この世は運行し続ける。今だって実際そうだ。
私がいなくなった時に、知っている人は最初は悲しんでくれるかもしれないけれど、それも時間とともに懐かしさに変わっていくだろう。
このブログを読んでくれているあなたも、私のこのむき出しの書き殴りをヒリヒリとしたエンタテイメント系自分語り読み物として、安全なところで眺めているだけなのだ。読んだからといって、あなたの皮膚から血が出てくるわけじゃない。(でもこうやって読んでくれてありがとう。)
すべては移りゆく。
この世はみんなつながっているけれど、ひとりきりでもある。
この世界は私を必要としていないように思える。
だからそうやって、私を終わらせようとしているの?
こんな風にちーん、となってるとタイムウェーバー君を通じた私の意識が言ってくる。
(注:timewaverやNESなどの機械はそれらが何かを分析して治してくれるマシンだと思ってる方もいるかもしれないけれど、全然違います。これらのマシンはある意味翻訳機です。自分の意識、エネルギーフィールド上に何が書かれているか見せてくれるもの。自分自身が発しているエネルギーを本人がわかる形に翻訳してくれるもの。調整にも本人のエネルギーを使います。だから治すのも自分だし、気づくのも自分。)
タイムウェーバー君が翻訳した私の意識にずーっと言われているのは、
「こうなるはずなのにそうならない、期待通りにならなくて落胆、のパターンを一体いつまで続けるつもりだよ?
自分の思い通りにいくと思っていることが幻想だよ。
とことん思い通りにならない経験をここまでしないと気づかないのかもしれないね?
期待通りにいくチケットなんて最初から持ってないんだよ。
なのにそこにそんなにエネルギーかけて浪費してるんだよ。
不確定性を生きな。
わからないことをわからないまま生きな。
そもそも時間が直線に流れてると思ってることが間違いなんだよ。
時間と空間を超えろ。
内省しすぎだよ。
人にふりまわされるな。
自分の内側の声を信じろ。」
心のどこかでまだ死ぬんじゃないんだろうな、というのはわかっているのだ。
この世は「信じるものは救われる」のだ。
信じるものがある人がうらやましい。
唯一信じるに足るものは、自分の内側の声だ。
なのにだからそれが聞こえねーんだよっ!!
わたしがぐるぐる悩んで頭をからっぽにしないからだよっ!!
ああ、こんちくしょうめ。
あれこれもがいてクローズドのコミュニティに質問を投げたら、古い友人が突然電話をかけてくれた。
びっくり。まさか読んでいるとは思わなかったから。
「ちょっとアンタ~、何やってんのよ~、まったく相変わらずなんだからぁ、バカじゃないの~? 頭カラッポにして休みなさいよぉ~怒」と久々に叱り飛ばしてくれて、彼の太い温かさに大泣きしてしまった。数年に1回のペースで、とんでもないタイミングで現れ、ホームランのように叱り飛ばしてくれる懐深いおじさん。ありがたすぎる。
別の友人にも、アロマトリートメントやってほしい。てかアロマ無しでも会いたい。会いにきて。と泣きつく。
そしてまた別の友人に、眠れない眠れないとLINEでダダをこねてたら、たまたま偶然街で出会い、うれしくて思わず飛びついて抱きついてしまった。あとで「あ、ハグされるの苦手な人だっけ」と思い出したけど、まあイイか。許して。
誰とも会いたくない!といいながら、人に癒される、そんな日々。
友人からや師匠からも「やりたいことは何?」と聞かれる。「生きたい理由を持つ」「やりたいことを持つ」ってのは治癒力アップに大切なこと。
。。。でもねえ、今、特にやりたいことないんだよ。
私がやってた仕事も、今はパッションが消えてしまった。追求すべき役目を持った人が今後もやっていくだろう。
ワクワクすること? 何も湧かない。
家でちまちまゆっくりのんびりしてるのが心安らぐ時間だ。
今の楽しみと生きたい理由は、旦那さんとずーっと一緒に過ごすことだ。
かれこれ23年の付き合いになるし、毎週毎月ケンカもめちゃくちゃするけど、いまだに大好きなのだ。
結局、ガンだったから私たちは子を残すことはできなかったけれど、ここまで一緒にいられる人にはきっと出会えない。
パートナーであり、親であり、息子であり、同僚であり、同志であり、先輩であり、親友であり、弟であり、お兄ちゃんのような人。
しいて生きたい理由があるとするならば、彼を悲しませたくない。
私が彼を悲しませることになったら私も一番悲しい。
すごく一般論だけど、こうやって一緒に過ごしている時間がこの上なくうれしい。
ずっと一緒にお惣菜買いに行ったり、お笑い見て爆笑したりしたい。
一緒にコーヒー飲んで、おいしいね、って笑いあいたい。ずっと。
ところで6月の半ば、久しぶりの都内脱出ドライブで、アーツ前橋でやっている廣瀬智央展「地球はレモンのように青い」を見に行った。
どうしても思考は問題解決doingを模索する。期待してdoing、結果に打ちのめされ落胆。何かを「問題」と意識してそこにフォーカスするのも思考doing。
そのループを延々と繰り返してるわたし。(あ、内省しすぎちゃいけないんだった。笑)
展覧会入り口のご挨拶文章に、
「私たちはいつも不確定な現実を生きています。…(中略)…思い通りにならない現実を受け入れ、だからこそ自分らしく生きることの大切さを芸術から知るのかもしれません。」
うぎゃぎゃ…
異なるものをまるごと内包するこの世界の多様性と、矛盾に満ちた両義性、その矛盾を矛盾としてはらみながら、自由に越境していく心を追求しているかのような作品たち。
この作品↓も素敵だった。
『石の表面はごく浅いすり鉢状に削られ、水が満たされ、花が浮かんでいる。花は水がなければ生きられず、水は石がなければそこに存在することができない。それ自体が自立して存在しているものはなく、全てのものは他のものに依存して存在している。。。(略)』
このいのちはなんでここで生きているんだろ。
考えたってわかんない。
私がただ、ここで生きている。
それだけしかわかんない。
とにかく人生は思い通りになんない。
でも今ここで生きてるから、おいしいコーヒーを飲む。
コーヒーは素晴らしく良い香りで、私はしばしうっとりする。
選ぶこと、決めること
治療生活は「選ぶこと」「決めること」の連続。
治療に限ったことではなく、まあ人生は選択の連続だけど。
常に何かを選び、選ばなかった選択肢を手放す。
去年の秋、腹痛で最初に入院して病名がわかったあと、治療をどこでどのように受けていくか、補完代替療法はどうするかに始まり、常に決断の連続で、命に関わる選択を自分で決めていくことを負う責任と不安がすごくあった。
過去形じゃないな、今だってそのドキドキはいつもある。
告知を受けた頃、抗がん剤投与で1泊入院してたSさんが声を掛けてくれたので、これから病院や治療を選択していくこと、決めていくことへの不安を話した。
Sさんは、
「どんな高名な名医、病院でも、ハートがピンと来ないなら頭で決めないで。自分のハートがほわっとピンとくる出会いの方を選ぶのよ。それが自分のいのちの選択。自分にしかできないの。いい?ハートで決めるのよ。そうやって決めた病院、治療法なら大丈夫よ。」
Sさんと話をしながら、告知後初めて私は泣いた。
不安を受け止めてもらった安心の涙と、とてもだいじなことに触れた時のふるえる涙と、新しい人生のスタートを切るんだという決心の涙。
とはいえ、これだー!と澄みきったハートからの決断をできるときはなかなか無い。
大抵、いろいろと考えすぎてしまう。
うー、うー、と気持ち的に苦しんだ末に、かすかにハートはこっちって言ってる気がする。。。程度のおぼろげな手触りをよすがに決めてきている。
何かを決めるときに、こんなに怖さを感じることは今までなかった。
大事なことをわりとパッと勘で決め、今まで転職もしまくってるし、結構大きく人生の方向転換やチャレンジをぴょーんとしてきた方だと思う。
仕事や暮らしのもろもろのことは、多少選択をミスってもよっぽどじゃない限り命までは失わない。
でも、今向き合わされているいろんな選択は毎回怖い。
大きな選択の分岐点にくるたび、毎回心がヒリヒリする。
だって私、まだ死にたくないんだもん。
なんで恐れが湧くかって、なんだかんだいって死への根源的な恐れの感覚があるからだ。
ハートの奥では自分が生還するってわかってる。だからどんな選択をしても大丈夫だとわかっていつつ、死なない正解を選びたい、間違えたくない、っていう恐れも湧く。選択を間違えたら死ぬかも、っていう恐れのイメージも私は同時に自動再生されちゃう。
思考は、自分の選択で取り返しのつかない方に進んでしまったらどうしよう、の囚われで右往左往する。
この優等生的囚われを手放すことも、病からの宿題のひとつ。どんな選択をしても大丈夫だ、と肚の底で信頼していけるように。
代替療法の世界にいると、ガンや難病が治った話は山のように聞く。
私も自分のクライアントさんにそういう話をたくさんしてきたし、逆に今は、私が人からそういう話をたくさん聞かされる立場になっている。
ガンになってるということを、遠回しにアナタは波動が低い、と伝えてくれる人もいるしね。
まあそれは事実だろうけど。
実際にいろんな選択や決断をしていく羽目になって感じたのは、病との向き合いにはなかなか精神力とエネルギーがいるということだ、いろんな意味で。
今まで人に「大丈夫だよ、がんは治るよ」と、病気を経験したことのないのに知識で言っていた自分は、なんて無邪気だったんだろうと思う。
もちろん真剣に元気になってほしいという思い、励ましの気持ちで伝えていた。
ただ、どこか、私は健康だし安全な場所にいる、と、無意識に上から目線だったかもしれないし、「私は知っている」と思っていた傲慢さ、無知さを今、つくづく噛みしめている。
私がサポートを頼んでいる施術家さんたちは皆、
「何が正しいはないよ。もし正解があるとすれば、自分がどうしたいのか。自分で決めたことが正解。」と。
親友も「どんな選択をしても間違いはないよ」と言ってくれる。
自分の選択が自分の命の手綱を握ってるという、その責任がまだドキドキしてこわいのだ。
どんな選択も大丈夫なんだと思いつつ、自分の命の力をまだ完全に信頼しきれていないのかもしれない。
正しいと思える方を選ぶのは、頭が安心しやすいのだと思う。
自分の選択が合っているんだ間違っていないんだと、誰かが保証してくれる気がして。
それは誰が保証してくれるんだろう、、、??
周りの人?
でも周りの人は私の人生を代わりに生きてくれるわけじゃない。
何かをしようとするとき、それを許さないのは他人ではなく何だかんだ結局自分自身なのだ。
自分のほんとうに感じている選択肢を選ぶのを許すこと、
自分のつながりたいところにつながること、
切りたいものは切ること、
先の見えない状態のまま、内側から湧くもので生きていくこと、
つまりは、私でいることから逃げないという責任を自分に約束したいのだ、私は。
これが唯一、引き受ける責任。
そもそも、病気の時だけでなく。
病気は、そうやって生きていく選択をするレッスンなのだろう。
去年の12月、Sさんに話を聞いてもらった後の大きな選択の前にやっぱりどうしてもハートの声が感じられず、友人に「困ったよ、わかんないよ、決められないよ」と電話したら、「頭空っぽにして外歩いておいで」と。
病院を出て無心に歩いていると神社があったので、「選ぶインスピレーションを湧かせてください」とお願いして、冬のキーンとした空気の中ひたすらに無心で歩いた。
そしたらふと「おもしろい方を選べ」って湧いてきた気がした。
おもしろい方かあ。。。
結局その時は迷ったあげく、勇気を持って、おもしろい方を選んだ。
正しいと思えた方を手放した。
その選択は今も後悔していない。
なんで今日、こんな記事を書いているかっていうと、そろそろまたひとつ選ばないといけないことがあってね、どんな選択をしても大丈夫ともう一度自分に伝えたくて、書いたのよね。
そうして「ハートがほわっとおもしろい方を選ぶ」勇気を、また自分の中にひらきたかったのかもしれないな。
偶然なのか、そうでないのか? その2
偶然なのか、そうではないのか??その2。
timewaverで毎回やってる、「エネルギーを効率よく最適に分配して、代謝エネルギーに変換」の調整の中で、最近2回にわたって、
「in the rain. 雨の中で。(カルマレベル:before birth 過去生。今世で解放持ち越し中)」
ってキーワード出てきてたの。
in the rainにイマイチピンとこず保留してて、今回詳しく解析したら、
「in the rain」は「痔、肛門からの出血」と関係すると。
師匠「坂東さん、<雨の中で、痔と肛門>で何か思い当たることある?(失笑)」
へっっっ!!!!
昔、雨の中で何をしてたかは知らんけど、ていうか今、副作用で痔気味でおしりがヒリヒリしてて笑、まさにちょうどセッション日の朝、若干出血したばかり!!!(すみませんね、生々しくて)
で、肛門に「何が言いたい?」とさらに解析したら、
「人生の成り行き、起こりつつあることを信頼する、最悪のことが起こっているように見えても、正しいことが起こっているよ」
なるほど。
、、、そして、その4日後。
弟と電話してる時に、
「タイムウェーバーでそういう話もあったんだよー。ちょうどその朝、副作用で肛門が痔出血した日でさーw」
と、何の気なく話したら、
弟「え?!はっ?!ちょっと待って?!それいつ?」
私「4日前だから、5/14の朝出血で、セッションは同じ5/14の夕方。出血はその時だけだよ。」
弟「4日前…俺もその日朝、謎の肛門出血して、夕方には止まったけど、、同じ日だわ!?」
ええええええ〜〜?!
どういうことwwww?!
とりあえず同時出血した弟にも、肛門メッセージをシェアする。笑
、、、そしてその翌日。
友人からお見舞いメールがきていて、
「今 Salyuのthe rainって曲を聞いてほしくなってメールした」と。
むむ、rain。
最近の気になるキーワードがここに。
YouTubeで聞いてみたら、歌詞に、
I will sing in the rain.
I will dance in the pain.
I wiil be there.
あっ!
「in the rain」って言うてる 笑笑笑
雨が降っていようとも、痛みがあろうとも、歌い、踊り、そこへ行く、みたいな歌詞ですかねえ??
(友よ、メールくれてありがと〜う!!)
先日timewaverで解析した「痔」からのメッセージ、「人生の成り行き、起こりつつあることを信頼する、最悪のことが起こっているように見えても、正しいことが起こっているよ」に、なんとなく通ずるような気もする。
↑
ちなみにこれヒーリングの本とも一致してた。
↑
↑
改訂新訳ライフヒーリング(旧ライフ・ヒーリンク゛) You Can Heal Your Life
とりあえず、この日を境に、1か月続いてた肛門ヒリヒリ痛みは、嘘のようにピタッと消えた…!
たぶん、今世の私に「人生の成り行きを信頼する」を届けたから、肛門の気も済んで、私のヒリヒリも出血も消えたんだろうけど、それにしてもまわりくどいわ!!ww
その前世カルマ解消するための副作用かいな?!笑
肛門解消のために抗がん剤やったんかいな?!笑
そして、なぜ同時に弟もおけつ出血をする????笑笑
やっぱ血縁は、エネルギーマトリックスをかなり共有しているのかねぇ。
ま、今2人にとって必要なメッセージだったのでしょう 笑
(弟には一応、出血続くようなら検査しろと言いましたが、まぁ大丈夫な気はする)
弟はバリに住んでるので、距離の関係ない量子の非局在性をまさに体感。。。
偶然なのか、そうではないのか???
とりあえず、雨であろうと嵐であろうと、人生の成り行きを信頼して、「エネルギーを効率よく最適に分配して代謝エネルギーに変換」しま〜す!しましょう!
ミトコンドリア復活の道は続く♪
偶然なのか、そうでないのか? その1
4年前とどう?
昨日、「わたしの自然」という文章を書いて、なんだか同じことを昔にも書いた気がするなぁ、と思ってブログタイトルをさかのぼったら、今のブログの初回記事だった。
笑えるw
NatureとNatural とか、4年前も完全に同じこと書いてるw
変わってねえなあw🤣
見たいもの味わいたいもの変わってない、というか、同じところを相変わらずぐるぐるまわってるのか、それとも同じところに立ちつつ解像度は変化してるのか…
内面もそれなりに変わってる自覚はあるんだけど。笑
2016/9/28
自然、不自然
https://yukolifelog.hatenablog.jp/entry/442331378.html
↓
2020/5/12
わたしの自然
https://yukolifelog.hatenablog.jp/entry/2020/05/12/193355
わたしの自然
5月は1年でいちばん好きな季節。
新緑のみずみずしい香りがたまらない。
朝一番に窓を全開にして、土と水と緑のかおりの混ざった風を、思いきり吸い込む。
午前中はお散歩が日課になっています。
よく行くのは近所の霊園。
ここ、いいの。
すこーんと抜けてて、全然淀みがない。
静かでおだやかで、すごいオープン。
大きな緑につつまれていて、無数の草花がところ狭しと色とりどりに咲き乱れていて、おおらかで、ここは極楽浄土か?という感じ。
毎日、毎週、ぐんぐん草の植生が変わるのを眺めながら、透明の風に吹かれながら、草のお花畑の中をのんびり散歩する。
宗教問わずの霊園はいろんな墓があって、それを眺めてるだけでも飽きない。
特に古い区画は、墓石の配置もおおらかで、たくさん草花も咲き乱れていて、いい感じに苔むしていて。
呼吸がしやすい、すーごい、ピースな場所。
かつて生きていた人たちのしるべが静かに佇んでいる場所に、今を生きるわたしたちがゆっくりと回廊する。
中でもおおらかな佇まいがお気に入りのお墓があって、
「こんな風に眠るのもいいなあ~」なんてふと、旦那にもらしたら、
「縁起でもない!二度とそういうこと言わないで!!」とめっちゃ怒られた。
あ、そうか、笑笑
言葉足らずでごめんよ、そういうつもりじゃないから。
今すぐとかではないです。笑
ここ数年は、精神的にも肉体的な意味でも、メタ的にも「死」が意識されて、ずっと切り立った尾根をギリギリ歩くように向き合い続けてきて、むしろそこを経て、今病気を通じてさらに「死」を自分ごととして直面したからか、自分自身の内側にどんどんエネルギッシュに「生」があふれてくる感じがしてるからこそ、そういう言葉がもれたの。
今、42才のこのタイミングで生まれ直してくっぽいから、84才までは第2章を味わいまくるつもりだよ。笑
85才からは余生で第3章かな。
ま、先のことは全くわからないし、この先も一緒にびっくりツアー楽しもうね 笑
不思議よね、肉体の数値や診断的には未だに「悪い」ものを抱えていると世間に見なされてるわたしだけど、今、内側はどんどん軽く、去年以前よりよっぽどすこやかで、身体感覚的にも、内面的にも、もともと持っていた強さを取り戻してきてる感じがある。
こうやって生きながら、常に何度も生死を繰り返してるんだと思う。
自然界の循環もそうだし、全身の細胞のターンオーバーが繰り返す生死もそうだし、
何かに気づくことで、今まで「自分だと思っていた状態」が死に、新しい「状態」を生きる。
その繰り返し。
「自分だと思ってる状態」って、いろんな理由で「自分がそういう人」だと勝手に思い込んでるだけなんよね。
勝手にもう潜在プログラミングが自動反応で動いちゃうから、勝手にそのOSで生きちゃうから、あまりに自分にとって当たり前になっちゃってるから、まさか自分が、そんな思い込みの世界で生きてるなんて誰も思ってない。
その思い込みOSで生きてれば私を守れるから、ってメリットだと思ってたから、ある意味、最善を生きようとしてただけなんよね。
周りの大人たちは、彼らが生きた価値観の視点から、彼らの愛情でそのプログラムを教えて埋め込んでくれた。
その子がこれから先、人生を無事生き延びれるように。
幼い私たち自身も、もう怖い目に合わないですむように、防御するプログラムを身につけて生きてきた。
その時、その瞬間はそれでよかったかもしれない。
でも常に今は瞬間。
常に今は更新され、変化していくもの。
なのに、一度お守りになっちゃったそのOSを搭載し続けて、ほとんど誰もがその初期OSで何十年も生きてる。
あれ?なにかおかしい、、?
わたしの感じていることはどれ、、、、?
気がついたら、自分自身の自然を生きておらず、一生懸命、他人を生きていた、ってこと。
ほんとうのOSは、どれだけ自分にとって自然な状態を生きているか、ってことなんじゃないか。
つまりそれが「生きる」ってことなんじゃないか。
ここで言ってる「自然」は、自然環境の<Nature>じゃなくて、自分にとっての自然、<Natural>の方ね。
誰かがいい、と言ったものを取り入れてる状態ではなくて。
自分自身の中から湧く、素直な自然さに従って生きること。
この、「自分にとって」というのが、すごくだいじだと思う。
それぞれ誰でもしっくりくるものがあるし、自分の感じるものは、他の人にも当てはまるとは限らない。
それででいいと思うし、むしろ、そうであることがすてきで自然だ。
色とりどりの草花のように。
だから、わたしはわたしの自然に従って、居心地の良いように、居たいように整えるっていうか、どうしていたら自分のエネルギーが枯渇しないか、もっと真剣になっていようと思う。
わたしは、自分のことをずっと鈍感だと思っていたんだけれど、周りの人からは「アホか、こんなに敏感なくせにwww」と言われていた。
敏感アンテナの使う方向を間違っていたんだよねー。
察知するのは得意だから、「わたしがこうしたら(こう言ったら)この人は満たされる」という方向に使ってしまっていた。
自分の中に、ほんとうは違和感があっても、必要以上に迎合してしまっていた。
ただでさえ、境界線がゆるいタイプだから、エネルギーをダダ漏れさせてしまっていた。
ほんとうは感知してる自分の内側の要求をないがしろにして、外の人の要求(言葉に出してこない潜在意識的な要求も含む。いやむしろそちらが多い)を満たしていた。
他人のものは他人のもんなんだし、いちいち背負わないでいいのに、
「わたしは、自分の自然を満たせない、生きるためには役割を背負わないと愛されない」っていうOSがまわっていたからね。
自分のいのちに対して、まったくの不自然だよ〜。
不自然ってのはねえ、めちゃくちゃ疲れるんだよ~。
不自然に生きてると、生命エネルギーが入ってこないんだよ~。
このOSパターン、先祖代々脈々と、めっちゃ古かったの。
ガン告知後、最初に必要だったのは先祖との共鳴へのアプローチ。どわーっとさかのぼってtimewaverに共鳴エネルギーを解放を手伝ってもらった。何ヶ月もかかった。やれやれ、この業務をしなきゃいけなかったのも、どうやらガンになった意味だったようだ。
他の人を満たせるのは、自分自身が自分の素直な自然で満たされている人がやれることだ。
自分の素直な自然で満たされていない人が「他人のために」とやることは、自分自身の存在価値が欲しいからだ。
何か足りない、と感じる感覚を埋めたいからだ。
そんなことしなくったって、私たちはもともと価値があるんだってば。
自分が自分の自然に従って生きるだけでよかった。
自分への愛だよ。
そうやって、自分への愛を取り戻して、いわゆる環境の方の自然<Nature>ともつながってまわっていけたらいいな。
植物が二酸化炭素を酸素に変えて放出させているように、自分自身をフィルターに、何かよきものに変換させて放出させたい。
自然界から受け取っているだけじゃなくて、そのお礼に、取り入れた毒素ですら何か澄んだ楽しきものに変えて、地球に返したい。
この肉体で変換して。
まあ、マイペースに少しずつ。
だから、草花に包まれておだやかにあちらへ帰るのはまだ先なの。
今はまだ、ようやくここからまた生きるところなのだから。
それにしても、草花っていいよね。
あの伸びやかさ、可憐さ、ずぶとさ、強さ、
見てて飽きないなぁ。
気づきは、癒し。
ブログ書きながら思うのは、つくづく私は「気づく」ことが好きなんだなあ、ということ。
こんなにおもしろいことはない。
いや、ほかにもおもしろいことたくさんあるけどさ。笑
気づきってエネルギーだから。
気づくと変わる。
変わるものはいろいろだ。
気づくと、意識が変わる。
気づくと、エネルギーの在り方が変わる。
気づくと、エネルギーの流れ方が変わる。
気づくと、行動が変わる。
気づくと、実は肉体が変わる。(ここはちょっとタイムラグあります)
気づくと整うから、エネルギーが通りやすくなり、いろんなことがまわりやすくなる。
すべてこの瞬間に起こっていること。
つまり、気づくと自分の世界そのものが変わるの。
気づきは、癒し。
自分だと思っていた価値観そのものも変わるし、
自分が生きている世界だと思っていたものが変わるし、
人のせいだ、と思っていたことも、全部自分自身のことだった、と見えかたが変わるし、
過去の記憶の意味も変わるし、
ということは、過去だと思っていたもの自体が変わる。
同じように未来の意味も変わる。
過去だと思っているものは、今この瞬間に持ち続けている記憶エネルギーなだけで、
未来だと思っているものも、今この瞬間にうごめいた想像エネルギーなだけで、
案外人間は、過去と未来を思うことに今の瞬間を費やし、この瞬間自体をすっぽかして生きている。
私も気づきのサポートとして、今までもいろんなものの助けを借りている。
自分自身がプラクティショナーとして使っていたNESのセッションもそうだし、時空間を超えた座標へアクセスするバケモノ(笑)timewaverセッション、マトリックスリインプリンティングなど各種セッション、ホメオパシー、フラワーエッセンス、気功、アロマセラピー、身体ゆるめる系ボディワーク、内観問いかけワーク、絵を描くこと、ぼけっとすること、食べもの、お散歩、音楽、山、森、書くこと、話すこと、 etc,,,
、、、書ききれんぞ、ていうか、生きることすべての瞬間が気づきの源泉だしな。
あらためてみてみると、たくさんの瞬間に助けられているなあ。
ありがたやありがたや。
どれも単なるツールでしかなくて、どれでもよくて、それぞれの人の今にとって、必要なものが違うだけ。
そして常に必要なものも選択も変わる。その自由さ。
昔必要だったものに固執する必要もない。
それだけたくさんの色とりどりのツールが地球にはあふれ、開かれている素晴らしさ。
ありとあらゆるセッションやセラピー、治療は、気づくためにあると思う。
何かを治すためじゃないの、ほんとは。
治るのはおまけだから。
それが自然療法だろうと代替療法だろうと、何かを治すためにやってる時の意識は対処療法的。
対処療法も、一旦症状をラクにすることで気持ちも身体にも余裕ができるから、道のりの手段としては必要でだいじなことだし、それはそれとして、わかって使うことが大切なんだと思う。
自分がどの意識で、なんのために今そのツールの力を借りているのか、ということ。
何かを治すためにやると、それに依存的になりやすくなる気もする。
「わぁ!!これすごい!!素晴らしい!!」と感動するけど、対処療法的に使う限り同じ状態はくり返す。
根っこのパターンが癒されてなくて、症状が起きるパターンは変わっていないから。
そして「私を治してくれる素晴らしいコレ♪」を手放せなくなり、時には競合するものや、他の方法をやんわり無意識にマウンティングすることで、自分が頼るものの素晴らしさ、自分の信じる正義を絶対的にしようとしてたり。
あ、これ、療法に限ったことじゃないですな。あらゆるところで起きる。
私もやってしまうし、誰でも無意識にやってること。
それは別に悪いことではないし、ラクになることも素晴らしいけど、たぶんそのやり方はほんとはだんだんしんどくなるよな。
でも、その時はそれが必要だからそうやるんだと思う。
常にいのちは、今のバランスにおいて最善のことをする。
そうやりながら、アレ?と、その都度気づいていけばいいだけで、常に選択は自由だ。
私も治療が始まった最初は「私に何が効くのか」に意識をむけてました。
どんな療法が私のガンには効くのか、とか、
私に効く食事療法はどれだろう、といろんなメソッドを試したし。
そして、自分がうっすら感じている身体と心の違和感よりも、方法論を最初優先させてしまった。
「だって続けたらコレが私を治すかもしれないし!」
チゲーだろ 笑
逆、逆。
2月の腫瘍の大増殖でいろいろ気づかされたよ。
意識の在り方がそっちじゃなかった、ってね。
あれだけ学んだり歩いてきても、実際身体に病気を抱えてみると「治るためには何が効くのか」をやっちゃうもんなんだなぁと、しみじみ頭の学びだったんだなぁ~と痛感したと同時に、病気が体験させてくれることの大きさに畏敬の念を覚えているところ。
そうやってジタバタもがきながら味わい生きる人間の愛らしさ、
あちこちぶつけながら、不完全な人間まるごとで太く泳いでいけること。
この世の深遠な奥深さ。
不完全だから完全って、すごくね?
どの出来事も単なるツールでしかなくて、なんでもよくて、今のタイミングでの湧いてくる必要なことと自由に遊べばいいだけだな~と感じる。
やらかしてみたからこその気づき、かな。
いつか、timewaverの手助けでやっていることを、ちゃんと書いてみたいなあと思う気持ちがあって。
とはいえ、1回1回が時空を超えた膨大な情報量と、セッション後もある意味宿題の連続だから、すべてを言語化するのはもはや不可能だなあ、と思いつつ、これからもマイペースに書きたいことを書きたいときに残してみようと思います。